梢風名勝負物語 日本金権史 砂糖と醤油 村松梢風著
サッカリン問題は鈴木藤三郎にとって皮肉なことだった。
明治34年10月「人工甘味質取締規則」内務省令第31号として発令。
この規則は販売用の飲食物にサッカリン等の人工の甘味の使用を禁止しただけで。治療の目的で使用したり、個人で使用することは許されていた。
この規則が発令した明治34年10月から砂糖消費税(税率30%)が実施されていた。鈴木藤三郎は前年に創立した台湾精糖と日本精糖の社長であった彼は砂糖消費税を実施するには時期尚早と強く反対した。しかし、税収を確保する必要があった明治政府は糖業者を保護するため、砂糖消費税に実施と同時に人工甘味質取締規則を発令したのだった。鈴木藤三郎の運動で作られたサッカリンの取締規則で日本の精糖業は長い間保護されたのだった。
それでも安価な食品を作る業者はサッカリンを秘密に使用するものが絶えなかった。そのため糖業にかかわる業者たちは「サッカリンは毒物である」という宣伝を行なった。その方法はあらゆる機関を利用した。先ず、学者を買収してサッカリンは毒物説を流布させ、論文を書かせた。ビタミンを発見した鈴木梅太郎博士に、砂糖会社の資金で三越等の各所で「サッカリンは毒物である。」という講演をしてもらった。
精糖業者の努力と(日清・日露戦争の)戦費をまかなう明治政府は砂糖消費税収確保の取締のため、いつの間にか世間は「サッカリンは毒物である。」と信じるようになっていった。明治の当時は食品の取締は警察署が行なっていたので、各地の警察はサッカリンの使用の有無を度々調べていた。
鈴木藤三郎が率先して運動したサッカリンの取り締まり規則で彼が挫折したことは「因果は回る小車のごとし」という古い例えに鈴木藤三郎は良く当てはまる言葉だった。
サッカリン問題は鈴木藤三郎にとって皮肉なことだった。
明治34年10月「人工甘味質取締規則」内務省令第31号として発令。
この規則は販売用の飲食物にサッカリン等の人工の甘味の使用を禁止しただけで。治療の目的で使用したり、個人で使用することは許されていた。
この規則が発令した明治34年10月から砂糖消費税(税率30%)が実施されていた。鈴木藤三郎は前年に創立した台湾精糖と日本精糖の社長であった彼は砂糖消費税を実施するには時期尚早と強く反対した。しかし、税収を確保する必要があった明治政府は糖業者を保護するため、砂糖消費税に実施と同時に人工甘味質取締規則を発令したのだった。鈴木藤三郎の運動で作られたサッカリンの取締規則で日本の精糖業は長い間保護されたのだった。
それでも安価な食品を作る業者はサッカリンを秘密に使用するものが絶えなかった。そのため糖業にかかわる業者たちは「サッカリンは毒物である」という宣伝を行なった。その方法はあらゆる機関を利用した。先ず、学者を買収してサッカリンは毒物説を流布させ、論文を書かせた。ビタミンを発見した鈴木梅太郎博士に、砂糖会社の資金で三越等の各所で「サッカリンは毒物である。」という講演をしてもらった。
精糖業者の努力と(日清・日露戦争の)戦費をまかなう明治政府は砂糖消費税収確保の取締のため、いつの間にか世間は「サッカリンは毒物である。」と信じるようになっていった。明治の当時は食品の取締は警察署が行なっていたので、各地の警察はサッカリンの使用の有無を度々調べていた。
鈴木藤三郎が率先して運動したサッカリンの取り締まり規則で彼が挫折したことは「因果は回る小車のごとし」という古い例えに鈴木藤三郎は良く当てはまる言葉だった。