明治18年9月1日自由新聞
この日に福島事件の判決があったのだが同日の記事で福島事件の被告人を思いつめた女性の記事がある。高校日本史の教科書にも載っている自由民権運動福島事件の被告人6人のうち、唯一東京士族であった花香恭次郎の存在がなければ、裁判を行っていた高等法院に徹夜の傍聴人が並ぶこともなく、さらにうら若き女性が被告人に熱を上げる事もなかっただろう。この風俗が当時の大新聞(政論を主に扱う)から小新聞(事件・歌舞伎・遊郭等の風俗を主に扱う)まで福島事件の公判傍聴記録を掲載した理由と思われる。
自由新聞(9月1日号)より
日本橋区堀江町(今の中央区日本橋小舟町あたり)の商家の娘は父より新聞を読み聞かせられていたが福島事件が起こって,高等法院の審理が始まるといっそうの関心を示し、今日の弁論は如何に、あすの陳述は如何にと各新聞に記載されている公判記録を読んでいた。『習うより慣れろ』の例えの通り、妻子らも福島事件の内容が理解できるようになり、甲の弁論は勇ましく、乙の陳述はさわやかだと品評しているうちに、被告人の一人が娘の近所に住んでいた(南茅場町)事を知り、恋焦がれて病気となってしまったという。
内田魯庵の自由民権運動の思い出に出てくる内容と似ている。この裁判が時間の経過とともに社会風俗現象の部分が消えてしまって、政治性の部分が残ってしまったように思える。
この日に福島事件の判決があったのだが同日の記事で福島事件の被告人を思いつめた女性の記事がある。高校日本史の教科書にも載っている自由民権運動福島事件の被告人6人のうち、唯一東京士族であった花香恭次郎の存在がなければ、裁判を行っていた高等法院に徹夜の傍聴人が並ぶこともなく、さらにうら若き女性が被告人に熱を上げる事もなかっただろう。この風俗が当時の大新聞(政論を主に扱う)から小新聞(事件・歌舞伎・遊郭等の風俗を主に扱う)まで福島事件の公判傍聴記録を掲載した理由と思われる。
自由新聞(9月1日号)より
日本橋区堀江町(今の中央区日本橋小舟町あたり)の商家の娘は父より新聞を読み聞かせられていたが福島事件が起こって,高等法院の審理が始まるといっそうの関心を示し、今日の弁論は如何に、あすの陳述は如何にと各新聞に記載されている公判記録を読んでいた。『習うより慣れろ』の例えの通り、妻子らも福島事件の内容が理解できるようになり、甲の弁論は勇ましく、乙の陳述はさわやかだと品評しているうちに、被告人の一人が娘の近所に住んでいた(南茅場町)事を知り、恋焦がれて病気となってしまったという。
内田魯庵の自由民権運動の思い出に出てくる内容と似ている。この裁判が時間の経過とともに社会風俗現象の部分が消えてしまって、政治性の部分が残ってしまったように思える。