日本缶詰史によると、日清戦争時の統計には福神漬という缶詰の項目はなく、野菜缶詰という項目がある。しかし日露戦争・第一次大戦・シベリア出兵時の軍用福神漬缶詰の数量は約200万個で全体の軍用缶詰食品1千万個の20%を占めていた。
福神漬の言い伝えでは日清戦争から福神漬缶詰が軍用で使用されていたとあるがこの時期はまだ樽詰めの福神漬だったようである。大倉喜八郎の大倉組から献納された東京名産福神漬は樽詰めだった。
どこからの話か最初から軍用福神漬は缶詰で納品されていたということではなく、資料上日露戦争の前からである。
福神漬の言い伝えでは日清戦争から福神漬缶詰が軍用で使用されていたとあるがこの時期はまだ樽詰めの福神漬だったようである。大倉喜八郎の大倉組から献納された東京名産福神漬は樽詰めだった。
どこからの話か最初から軍用福神漬は缶詰で納品されていたということではなく、資料上日露戦争の前からである。