1876(明治9)
何気なく、『開花の築地・民権の銀座』と言う本を読んでいた。そこには小林清親の浮世絵があった。雪の第一国立銀行が海運橋のところに立っている絵である。女性が持っている傘には銀座・岸田とある。当時の岸田吟香が販売していた目薬「精水」の宣伝だろう。
小林清親・原胤昭・戸田欽堂など関係がこの本で良く分かる。明治9年頃は銀座で花香恭次郎が記者として働き始めている。原と同じように築地の協会で洗礼を受け、岩手県に行った鈴木舎定と花香は後に仙台で会っている。鈴木舎定は明治17年に病で死去するのだが生きていたら加波山事件に参加するはずだったという。
決定的な史料は中々見つからないがほぼ同時期に銀座で浮世絵『天福六歌撰』のメンバ-がいた事となる。
何気なく、『開花の築地・民権の銀座』と言う本を読んでいた。そこには小林清親の浮世絵があった。雪の第一国立銀行が海運橋のところに立っている絵である。女性が持っている傘には銀座・岸田とある。当時の岸田吟香が販売していた目薬「精水」の宣伝だろう。
小林清親・原胤昭・戸田欽堂など関係がこの本で良く分かる。明治9年頃は銀座で花香恭次郎が記者として働き始めている。原と同じように築地の協会で洗礼を受け、岩手県に行った鈴木舎定と花香は後に仙台で会っている。鈴木舎定は明治17年に病で死去するのだが生きていたら加波山事件に参加するはずだったという。
決定的な史料は中々見つからないがほぼ同時期に銀座で浮世絵『天福六歌撰』のメンバ-がいた事となる。