桜が満開に近い江戸東京博物館を見ずに、NHKの番組で知った全国工場通覧を読むため、墨田区の緑図書館3階の郷土資料室に行った。コロナ明けの本格的外出となる。目的の缶詰工場のリストだが何か少ない気がする。
工場通覧の編纂者の見立てでは、大正年間にこのリストが軍によって非公開扱いになった時期があって、さらに統計の正確性が阪谷芳郎によって注意勧告されているようだ。今でも統計の部門は日の当たらない公務員の部署のようで嫌われていると感じる。
昭和になって阪谷の注意で統計の重要性が知れ渡ったが、実務の方は無視していたようだ。どう考えても工業統計から日米の差がはっきりするのに、井の中の蛙の陸軍が精神論で暴走した。甘い見通しで始めた戦争は終戦の方法が見つからなかった。原爆で終わった戦争だった。日本の戦死者の大多数は昭和19年末頃から20年の8月という。多くの青年が死んだ。
いまロシアはどうメンツを保って終戦に向かうのだろうか。