沖縄の伊江島で飛行機事故があって、ベテランパイロットが2名亡くなった。救急隊員で訓練飛行という。そこで伊江島村のHPを見ていて、昭和20年4月16日からの一週間で伊江島での米軍との戦闘が終わった。初日の米軍の攻撃で先の沖縄戦で島民犠牲者の半数が死去したという。4月18日米軍の著名な従軍記者が降伏してきた女性の背後から攻撃され死去した。このアー二-パイル慰霊碑は伊江島の観光地としてはあまり紹介されていないようだ。どのような心境だったのだろうか。日本の本土から来た軍人と戦後の米軍との両方に伊江島で生き残った住民の不満がある気がする。地理的には沖縄は東アジアの中心地で軍事拠点となっている。
沖縄本島の本部港から9Kの距離で船で30分という。島の中学生は高校には沖縄本島に行き、ほとんど戻らないという。伊江島の先の戦争は沖縄戦の陰で注目されていないと感じる。沖縄本島での非戦闘員の死去比率では伊江島の方が多いと感じる。叔父らの台湾からの特攻隊は伊江島の物資を運ぶLSTに攻撃したのは5月20日であの写真(特攻で炎上し伊江島海岸に突っ込んでいるLST808)はどこから撮影したものだろうか。なにか小高い山から写したように見える。
叔父たちの攻撃は今の伊江島の人たちはどう思っているか気になる。戦争というものは生き残った人にどのような話が伝わるのだろうか。