年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

オミクロン型コロナでトリア-ジ

2022年03月22日 | 築地市場にて
トリアージとは、災害発生時などに多数の傷病者が発生した場合に、傷病の緊急度や重症度に応じて治療優先度を決めることです。
1 黒
2 赤
3 黄色
4 緑
今は入院患者の個人情報保護のため、病室前のベッドの掲示に少なくなっているようだ。昔、入院患者の見舞いに行ったときに、病室前の掲示を見て話すように言われた記憶がある。手術直後には赤になっていて、回復するに従い黄色となり、自立してトイレに行けるようになると、緑となる。面会する患者の前で基礎情報が入っていると、不謹慎な会話が避けられる。末期がんであって余命も家族から聞いていても、病室前の掲示を見てまだ大丈夫と言って励ましたこともあった。こちらは医者でないので外れても責任はない。生きる希望は数日余命を伸ばすと信じている。火事等で救急隊員が患者を救出する順序の目安と言われた。

 築地市場の時代の記憶で新喜楽という高級料亭が一時的に救急病院となったことがあった。ノーベル平和賞を受賞した翌年佐藤栄作元首相は昭和50年5月19日、自民党幹部、財界首脳と築地の料亭「新喜楽」で会食中、脳溢血で倒れる。それから15日間、「新喜楽」で意識不明のまま、6月3日死亡。6月16日、東京の日本武道館で「国民葬」が行なわれた。 新喜楽の勝手口を通った時、電源車が横付けされ、波除神社に向かう道は、芥川賞や直木賞の発表時期のように新聞社の車が停まっていた記憶がある。5日間経ってこの車列は消えた。あとの報道では容態が落ち着いたときに、大学病院に搬送した様だ。
 この時期はまだ朝日新聞が有楽町の時代で、1980年(昭和55年)に築地市場正門前に移転してきた。当時の記憶では築地4丁目から三井造船前は世間から見放された別世界だった記憶がある。いわゆるやくざ者の職場と見なされ、タクシ-などは魚商の竹の買い物籠を下げている客を避けるため、築地4丁目を避けていると言われた。そのため築地市場内から東京駅に行くときは、築地4丁目交差点まで歩いた記憶がある。その時にタクシーの運転手に聞いた話である。乗車拒否をするとうるさいし、手鉤で車にいたずらされる時もあるという。この場合は築地市場に客を運んだ帰りにトラブルがあるようだ。朝日新聞が来て新聞社の正門前はいつもタクシ-が捕まるようになった。

 ゼロコロナ政策の香港の状況から、第五波のオミクロン型コロナで103万人ほど感染し、死者は5683人で、死亡率が0.55%というデ―タが発表されている。死者の60%が施設居住者という。そのうち90%が個人的要因でワクチン接種をしていないという。施設居住者の定義が報道されていないが高齢者の施設だろう。日本でも同様で、オミクロン型の感染が減りつつあるのに死者数は減っていないと感じる。どうやら日本でも高齢者施設内でオミクロン型感染者を治療していて、国内でもトリア-ジ的対処をしている気がする。多くの死者は高齢者施設のようで、見捨てられ感がある。今の状況では幼児等の観察優先となる必用で、この時期に高齢者施設に入っていたことは運が悪いとしか思えない。
コメント
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