年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

ロシアの子供への戦争教育

2022年03月18日 | 宅老のグチ
叔父の特攻で都立中央図書館で(百年史)埼玉大学教育学部編を読んでいた。戦時中の師範学校と敗戦後の状況が教育者を養成するということの混乱が少し書かれていた。この辺りは教員としての人生観と教育者が教え子を戦場に送り死なせたという想いのある人があって、戦後に戦中の教育状況と語ることを拒否した先生も多いと思える。敗戦後に教科書が墨で都合の悪い部分を消しているのを見ると(特攻隊員)叔父は生きて小学校の教員として復帰したらどのように語るのだろうか?
 ウクライナの歴史を日本のテレビの放送内容から知るだけで、どう評論するかはある程度中立性に欠けることを意識している。日本人的感覚だと話せばわかる想いがあるが、モンゴルの東欧侵略の知識から、強圧に従うか皆殺し、もしくは奴隷生活になるかの歴史で、多くの西洋の城郭は市民を場内に囲い、周囲を農地とし、夜間は城門を閉じている。日本では市民を囲う城郭都市は少ないと感じる。
 さてロシアの教育放送を見ていると、西側の宣伝に騙されるなという。情報を遮断しロシア政府の情報だけ信じろという。すべてはウクライナのネオナチであるのでロシアは攻撃する権利があるようだ。何か戦時中の大本営の放送を見ている気がする。しかしどんなに政府が話していても、ロシア庶民は迫りくる物価上昇に対抗する買いだめを行っているようだ。ロシア人もウクライナ人もまだ太目で、飢えに苦しむというより、爆弾で先行き不安で食が進まないように見える。
 この時期から平時はウクライナで雪解け後の農作業が始まるのだが、無理だろう。ロシアも兵員不足となり、農業から兵士に人手が取られる。大義のない兵士の士気と祖国や家族を守る兵士では兵器の差であって、時間によって必ず敗北する。
 秀吉が中国の明に対して征服戦争を挑み、初戦は日本が勝利したが、国土人民を守る朝鮮人民に敗北した。食料を持たずに朝鮮に進軍すれば住民の反発は必定となる。
 見えてきたアメリカの戦略はウクライナ人の戦争を出来るだけ長引かせ、ロシアを悪者にすることで弱体化を促進させるアングロサクソン戦略が見える。ただ核戦争を誘発させないことに力を入れているように見える。
 まだロシアから原油とガスが止まっていないようだ。報道の駆け引きの中で人が殺し合いしている。ロシアから武器輸出が止まれば、アフリカ等の混乱地は静かになるか争いが広がるかは誰も解からない。ただ借金の踏み倒しが常態化が進む気がする。
 インフレ抑止のアメリカ金利が上がる、まだ日本はガソリン値上げを恐れていて、ガソリンを安くしようとしている。平時の物価上昇でないことを忘れていて、今は戦時経済に突入寸前で、長期の戦いになることを考えていない。平和ボケと不景気慣れで戦時経済となれば、長い取引があっても自国民を飢えさせないで日本へ食料を輸出するはずがない。小麦・トウモロコシ等が高騰することもあって、江戸時代の食生活に戻るしかない。主食はコメ・イモ・じゃがいもとなる。
 さつまいもは江戸時代の救荒食料であった。流人の島であった伊豆七島で度々飢饉があって、サツマイモ栽培が伝わって餓死者が減ったという。ここで高野長英の研究が役に立つ。『勸農備荒 二物考』という本を著し、早生ソバと馬鈴薯(ジャガイモ)のふたつの栽培をすすめた。
 「天保の大飢饉」は天保4年(1833年)から7年続いた。特に関東・東北の惨状は目を覆うばかりであったという。
 しかし日本人の関心は薄く日本人はコメに慣れ親しんできており、ジャガイモは味に慣れるのは北海道開拓で川田男爵が熱心に栽培したことから、今でも男爵イモという品種が残っています。川田男爵は英国スコットランドに留学していて、寒冷地でも育つジャガイモに関心があったようです。函館郊外には彼の邸宅跡が残っています。

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