都営浅草線の浅草駅で降りて、台東区中央図書館へ行く。目的は上野動物園の入り口付近にある小松宮彰仁親王銅像の建設由来を知りたかった。他の上野公園の銅像は西郷隆盛像など結構由来が知られているが小松宮の銅像はなぜあの位置にあったのか福神漬の由来を調べていて、疑念を持っていた。本来ならば上野戦争時の北白川宮の銅像が立つべき位置にあって、皇居北の丸の近衛師団前に立ってしまい、北白川宮の兄ということで、上野公園竹台の位置になったと思われる。銅像の制作者は異なっているが台座はほぼ同じ形で顔が似ているという。全体として北白川宮の銅像と掲示板が変わっても納得してしまう歴史がある。薩長の維新史観から戦前では無理だろう。ただ上野下谷の庶民から密かな支援が旧幕府の人たちにあった歴史を知っている。台東区の区名の台は上野の山でその東を意味している。
この調べごとは森鴎外の能久親王事蹟と言う歴史文学に関係してくる。一応森鴎外文学全集に入っているがどこまで森が関与しているか気になる。一応国会図書館のリサ-チでは偕行 社堂陰会編となっている。
『能久親王事蹟』 棠陰会編 東京偕行社内棠陰会 春陽堂 1908
偕行社は靖国神社の図書館の運営と関係があるようだ。戦前の陸軍の親睦会・遺族会の様でそこの編集で森鴎外が関与したようだ。ただ内容を見ると上野戦争時と台湾の様子が多くを占めている。
昭和の小説家の吉村昭の(彰義隊)は上野戦争の輪王寺宮(明治以後北白川宮)の小説である)と比較して、さらに戦前の薩長史観と下町の気風の妥協が上野動物園前の銅像に残っている気がする。
福神漬の酒悦の店の名前を輪王寺宮から頂いたという話がある。