福神漬の調べごとは主に台東区中央図書館郷土資料の所でしているが都営浅草線浅草駅から通うので、浅草の繁華街を同じ道を通らないようにしていて、東洋館フランス座と言う所に、昼間から行列があって気にしていた。同じところに入り口が異なるが落語の浅草演芸ホ-ルがある。
国立劇場の建て替え前にイベントがあって、それから話芸の所を巡っている。コロナ明けと諸物価が高騰しているので収入の拡大が望めない高齢者向けの演芸は厳しいと感じる。特に若手が優遇されない話芸の世界は高齢化が目立つ。そんな中で東洋館をネットで調べると多くの東京で活躍しているコントの人たちの出発地であることを知った。
東洋館で8月の中席(11日から19日)チラシの裏面に飲食店の広告があって、そこには70年ほど前の父との想いでのすき焼き米久の広告があった。11月の浅草大鳥神社の酉の市で熊手を買い、東洋館ののようなところに入った記憶が残る。寂れた浅草が復活したのは異国人観光客の増大から来ている。タダ話芸の所は言葉と日本歴史の知識が無いと理解不能だろう。
東洋館の漫才は12時30分からはじまり、途中で3回ほど仲入りという休憩があって、10分ごとに演者の交代がある。終了が夕方5時なので、22組の演者40名ほどが出る。多くは二人で一組。
最後の出演者宮田陽・昇さんのネット情報から、やはり漫才の浅草東洋館はステイタスと感じる。講談定席の木馬亭の二階に木馬館とと言う大衆演劇の聖地があるが、ここの、企画者が十条の篠原演芸場で入場料が親会社の方が安い。それぞれの演芸には業界内のランクがあるようでやはり東京や大阪で旗を上げないと、いずれ全国に広がらないと感じる。
このことは海の魚でも良い魚は東京市場に出荷し、値段をつけてもらい、地元にその価格から下の値段となる。地方の消費者は収入が少ないので高い値段では食べられない。
漫才は客との会話で進む。多くの出演者と出身地の話題がある。東京はやはり全国のお上りさんの集積地と感じた。終わりの夕方浅草は暑さでひきこもりの日本人に代わって、和装の異国人観光客で占拠されていた。