ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶
16日、横浜伊勢佐木町のシネマリンで映画を観る。台風で引きこもりだったので、歩数稼ぎで出来るだけ歩くことにした。しかし台風の余波で暑くて、早歩きも出来ず予定以上に駅まで遠かった。さらに京急日ノ出町駅は普通の電車しかとまらず、乗換え待ちで想定以上にシネマリンへは遅れた思いがあり、伊勢佐木町のドンキの前にあるので、そこまで早歩き。11時半についてチケットを購入。85%は埋まっていた。2年前に公開などでも人は多い。不思議。映画の初めは汗が止まらず、水不足。
映画の内容は太平洋戦争開戦後にミッドウ-で大敗北した日本が沖縄で抗戦準備からの生活を描かれている。ガマと呼ばれる沖縄の洞窟の中での避難生活で軍に強要され、壕を明け渡し、洞窟内で集団生活。戦陣訓という軍隊の規則が村人にも強要し、集団自決に至る過程が記録として残った。この記録ではいつの時代でも沖縄は少数派で、地理的位置で人生が左右されていることを暗に示している。今の所左翼マスコミ報道で沖縄の人は米軍に出て行ってもらいたいようだが、実際問題として中国軍と交代と言われれば断固反対となる気がする。あまりも中国の自己中心主義が反発を招くだろう。沖縄でも日本でも道路には普通はゴミを捨てないし、台風時には停電や食料不足になって、助け合いが無いと生活維持が出来ない。沖縄の出生率が高いのは近所の幼児支援があるからである。そんな沖縄の戦時中の話でガマの集団生活で自決があった。道具は包丁と草を刈る刃物だった。母親が自分の子供を切り、その後に自分をさしたのだが比較的多い母親が死にきれずに生き残った。戦後に自分の子供を殺した母は何も語ることは出来なかった。多くの証言はそれを見ていた人で止めてもいなかった。鬼畜米英と教えられていたこともある。あるガマ(沖縄の洞窟)に村人が1000程避難していて、米軍から投降勧告があって、集団自決の提案から、アメリカにも行ったことのある人がどうせ米軍に殺されるなら、暗い洞窟より明るい地上で死のうと出て。1000人が生き延びたという。ただこの話が今まで聞いて無かったのは右翼的には皇民化教育で沖縄の人を死なせてしまったということの悔いから来ている。さらに左翼は今でも駐留している米軍を正当化することを恐れている。どの国の軍隊駐留では若い男性の集団生活で不祥事が基本的にある。しかしそれを無いとする建前がさらに不祥事を隠蔽し、大型にする。日本軍は慰安所を設けてストレス発散所としている。沖縄戦の報道記者アニ-パイルが一時休暇で沖縄で戦っていた軍人がハワイでビキニの女性とたわむていていた記事を書いていた。戦後の日本でも米軍人の慰安場が多数あった。
戦争とは男性は死んで終りだが、女性は生き残り、夫のいない戦後に苦労する。そして夫を失っていない運のよい女性から差別される。戦争が理不尽を増やす。
1時間半の映画が終わって、明るくなって誰も帰らないので動けなくしていたら、映画の監督が出てきて、この映画の想いを語っていた。そこでほぼ満員の五意味が理解できた。映画館を出ると台風明けの空でなく、地面は濡れていた。どこかで沖縄の涙雨だろう。対馬丸の話がなぜ今でも問題なのは暗号解読していた米軍が小学生の避難船を攻撃したか理解不能。