年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

カミカゼは吹いたのだろうか

2023年08月14日 | 福神漬
蒙古と朝鮮の連合軍が日本に攻めてきたとき、神風が吹いて、蒙古が撤退した。このことは戦後の日本の映画で日蓮が祈り撃退した場面の記憶がある。最近のウクライナの無人攻撃機はカミカゼドロ-ンと呼ばれた位世界で有名な名称となっていた。図書館で昭和18年の国民学校小学生の歴史本の復刻版を見たが、昭和18年は太平洋戦争が始まった年なので、まだ特攻という攻撃もない時で、歴史の教科書にも普通の記述だった。
最近読んだ本(戦前の正体・愛国と神話の近代日本史・辻田真佐憲著)を読んで初めて、台湾で戦病死した北白川宮が日清戦争後に日本神話のヤマトタケルと見なされるようになったという。北白川宮を祀った神社が台湾に出来てついに神となった。なにか日本書紀のヤマトタケルの話に似ている。明治天皇の命により外地に赴き戦病死した。この本には戦前の英霊の制度が良くわかる。

 福神漬は上野戦争後に荒廃した上野の地域の復興につれ、動物園・博物館等の建設で桜見物だけでない観光地が復活した。そこで酒悦主人が観光客用に持ち帰ることの出来る漬物を博覧会で見た缶詰に入れ販売した。そこで商品名を入れる必要があって、当時出版ブ-ムがあって、江戸時代の戯作者梅亭金駕に命名を依頼した。なぜ金駕かと言うと彼の(妙珍竹林七偏人)という戯作で池之端の酒悦という香煎茶屋が出て来る。当時の命名料は安く、金駕も本の宣伝と考えていたと思われる。江戸時代の池之端は寛永寺の門前町で繁盛していて、門跡に対する恩は忘れてはなく。歌舞伎の1890年5月新富座の竹柴其水(きすい)作《皐月晴上野朝風(さつきばれうえのあさかぜ)を下谷の人たちが上野戦争の歌舞伎で昔を偲んだという。この歌舞伎を密かに、北白川宮の兄の小松宮が観覧したという新聞記事があった。まだ北白川宮に対する有栖川宮のいじめが続いていて歌舞伎を見ることが出来ない時だった。歌舞伎が今のように評価が上がったのはアメリカの南北戦争の英雄のグランド大統領や明治天皇が鑑賞したことから始める。それまでは歌舞伎役者は河原乞食と言って士農工商の身分制度以下の存在だった。
 上野公園竹の台に小松宮の騎馬像があるが隣地にグランド大統領の御手植えの記念樹の碑がある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする