ハワイのマウイ島の火事で原因追及の動画を見ていたら、強風で電柱が倒れ、垂れ下がった電線が発火し、枯草に燃え移り、強風で風下の町を焼き尽くしたという。島の道が倒れた電柱に塞がれ、さらに警告システムが作動せず大火になってから避難したようでまだ全体像が見えない。この災害で震災記念館で大正12年9月の天気のことがあったことを思い出した。
関東大震災と天気
「関東大震災調査報告 気象編」(藤原咲平,1924)によれば、9月1日には、日本海に台風があり、 台風の後面には前線を伴っていたとみられ、夕方から夜にかけて関東地方を通過するまでは東京は南風でしたが、通過後は西~北風と風向が急変しました。前線の通過後、東京では火災旋風が発生したということです。
今の震災慰霊堂の所に避難民が4万人ほど集まって、3万5千人ほどがなくなったという。しかし記録を見ていると親族の安否を探している人の文献を読むと避難所で火災があったのでなく、多くの人が集まってから火災となり、火炎旋風となり大災害になったようです。地震は1回で終わることが無いのが普通に知識として日本人は持っています。余震が結構あって時には本震に近い余震があります。そこで被害にあった家から安全なところで過ごすのです。
マウイ島の火災ではすでに死者は100名をこえ、まだ名簿上では千名ほど安否未確認と言う。表面上の印象ではずっと平和な町で災害慣れが無かったと感じる。