墨田区の震災慰霊施設で東京都慰霊堂をすでに3回以上訪問した。どうも最初は震災記念堂となっていたが昭和20年3月10日未明の米軍による無差別の焼夷弾攻撃で亡くなった下町の人を祀るようになって変わったようだ。
2023年8月20日の日経新聞で慰霊の造形と言う記事があって、この慰霊堂の設計の顛末を書いてあった。結構すんなりと形が決まったということでは無いようだ。表向きは仏教寺院のように見えるが、訪問した時違和感があって、木造でないからと感じていたのだが記事によると上方から見ると、十字型をしている。屋根の軒先の形は中国風、相輪はインド風、壁や天井はアラベスク風という。慰霊堂の中に入ったが祭壇ばかり見ていたので気が付かなかった。
震災と戦災で墨田区の道は京都の道のようにきれいな道となった。そして両方の被災に会わない地域が、今頃道路の整備が続いている。京成曳舟駅付近の図書館で墨田区の郷土資料見ているが、押上から歩いてゆくのだが道路拡張工事が今でも続いている。墨田区京島地区は次の震災で東京都の危険地域の中に入っている。木造とくねった狭い道。さらに海抜が低く、水害も予想されている。何年かすればタワマンの町になるかもしれない。
日本は災害が無いと区画整理が進まない国と言える。東日本震災であっという間に三陸地方に高速道路が整備された。後は福島である。