9月1日に福田村事件の映画を観て、その後気になった部分の文献等の本を都立中央図書館で読んだ。その目的の本が野田市市史第6巻と資料編近現代第2巻だった。しかし都の図書館では資料編はあったが本体と言うべき野田市史が見当たらなかった。そこでシルバ-パス利用で行ける都営新宿線本八幡駅に行き、駅前からニッケコルトンプラザというショッピングセンタ-行きの無料送迎バスに乗り、隣接地にある市川市の図書館へ行った。東京都のシルバ-パス利用で市川市の図書館まで交通費無料で行ける。この市川の図書館は東京付近の図書館で塩業関係の記録が多い。さらに戊辰戦争の箱館戦争で戦死した行徳伊勢宿・押切の喜兵衛と山田箕之助(福神漬缶詰)の出身地であって何度か訪問した。
コルトンプラザは元は日本毛織と言う会社の工場だった記憶がある。JR本八幡駅から歩いて20分もないだろうが無料送迎バスを利用していく。
4年ぶりかどうか記憶も薄れていて、ショッピングセンタ-の活気が消えていて、前に見かけていなかったバイリンガルの幼稚園バスが並んでいた。そこを通り抜け、図書館へ入り、郷土資料の所へ行く。野田市史の資料編はここにもあったが本体と言うべきものが無かった。
そこで本棚のかなりのスぺ-スを占めている『野田市史研究』と言う本を全部見ることになった。
第11号 福田村村長が野田市と福田村と川間村が統合し、新生野田市になってから、元福田村村長だった新村勝男氏が統合後少したって野田市の市長となった。彼は日本社会党の推薦で当選したため、野田市議会では少数与党で運営には苦労したが地域の支持が強く何回も連続当選となり、福田村事件の市長としての謝罪も述べた。
福田村事件の著者辻野 弥生さん の話では、野田市では大正昭和の虐殺事件と野田醤油(キッコ-マン)労働争議に関して語りたくない共通で暗黙の合意が今でも感じる。辻野 弥生 さんの丁寧な取材は彼女が野田市の隣地である流山市に住んだことから始まる。流山市の郷土資料館・図書館は小高い丘の上にあって、そこの展示物は新選組近藤勇の捕縛地、みりんという産業の発達史と普通の古代史、中世史、近世史があって、さらに水害の記録が今でも記憶に残る。その流山で辻野 弥生 サンは地域史研究会に参加していて、野田地域に気兼ねない調査が出来たようだ。
福田村事件は厳密にいうと福田村と田中村(今は柏市)の両村民による虐殺で、事件後の公判で福田村の人が被告人として多かっただけと思う。
その流山市の図書館の検索でも野田市史の資料編以外の本は検索で出てこないし、さらに千葉市の県立図書館でも出てこない。
このような事例が全国の地域史であるのか都立中央図書館で聞いてみたい。野田市のような財政的に豊かな町では考えられない。市川市の所でキッコ-マン百年史がある。つまり野田の醤油の統合からの歴史で乱立時代の地域史が無いということになる。