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 年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

上野動物園正門前の銅像

2023年09月07日 | 宅老のグチ
上野動物園の竹の台正門入り口付近に小松宮親王の騎馬銅像がある。福神漬の命名由来と、宣伝広告から、この位置には小松宮の弟である北白川宮(寛永寺の最後の門跡・輪王寺宮公現親王)の銅像であった方が納得できるなと思っていた。
 この小松宮騎馬像には平成8年7月に台東区教育委員会の案内板が設置されていた。
小松宮彰仁親王銅像 台東区上野公園八番
 慶応4年1968、1月に鳥羽伏見の戦いに征東将軍として参戦し、戊辰戦争に参加した。明治10年の西南戦争の負傷者救護団体が発足し、後に日本赤十字社となった。小松宮は発足時から組織の長として日本赤十字の活動に皇族として貢献した。明治36年に小松宮が亡くなると日本赤十字社は銅像を創るための募金活動が始まり、明治45年3月に除幕式が行われた。この地に建てられた理由は、北白川宮の兄だったという理由で教育委員会は推察している。
 つまりはっきりとした理由は書かれない、書けなかったということになる。
そして戦後にGHQから軍国主義の銅像は公共の場から移動されたり、美術品化された今に残ったが、軍服姿は平和な観光地にふさわしくないと思っていた。特に西郷隆盛の銅像は鹿児島では軍服だが東京では着流しで、犬を連れている。
 上野公園には霊地にまつわる様々な解釈と言い伝えが残る。西郷隆盛の銅像が遺族に似ていないと言われた話も残る。するとその影響から神武天皇の銅像の顔が明治天皇に似てたり、台湾で死去した北白川宮がヤマトタケルと見なされ、作られたヤマトタケルの銅像の顔が北白川宮に似ているという。銅像作者が世間の悪評を避ける形となったという。明治天皇の顔に似ていたならば誰も批判は出来ない。百人一首の小野の小町のカルタには顔が見えない。美人の定義が時代によって異なるので、今でも小野の小町は美人として名が残る。
 北の丸の旧近衛師団の建物前に北白川宮の騎馬銅像がある。下から見上げていて顔は良く見えないが小松宮と兄弟なので似ていてもおかしくはない。従って上野動物園前の銅像の説明版を交換しても違和感がない。タダ軍服でなく輪王寺の法衣だろう。

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