年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

家等の飼っている動物に名前を付けると

2023年09月20日 | 宅老のグチ
老柴犬が15歳を過ぎ、やっと夏を越しそうだが、衰え感があって別れが間もない予感がする。
 『ブタがいた教室』と言う映画を観て本を借り出す予定をしている。多分泣けるだろう。家で飼っている犬は二頭目だが一頭目は突然早朝午前2時頃から暴れ出し、静かになったら呼吸が止まった。突然の前触れもなかった。医者に聞くとガンと言う。仮に前もって知っていても手術という選択を迫られたら、悩んだろう。今の柴犬でも緑内障で失明したがそこ至る過程で家族で揉めて、動物虐待の種々とと自分は思っていたが、一度やるだけやってみてからあきらめることで手術を行った。結局手術の効果は3か月から6か月ほどしか効果が無く、両目が失明し、時間感覚が無くなり、深夜に散歩している。嗅覚の方は維持できているので散歩の所を嗅ぎまわって用を足している。
 この映画の子豚はPちゃんと言う名前が付けられた。名前が着くと仮に研究用のゴキブリでも愛着心が出る。飼えば子豚もかわいい。牛や豚を飼っている人はどこで心のけじめをつけているのだろうか。この辺りは江戸時代から今でも非差別問題が絡まる。繁華街で牛肉を食べている人はそれを生産している農家を非人道的と非難している。何か食欲と脳は別物としている。

 トンカツ等の動物性食事は明治維新後から本格的に始まっていて、仏教のでは嫌われていた。それでも病気の時は例外であった。牛乳でも小さい時は牛乳を飲んでから昼寝をすると牛になると言われた記憶がある。父の実家に農作業用の牛小屋があったのを記憶する。生き物はいつかは死ぬ。仏教は輪廻の考えがあって、前世が動物の話が多く、それで日本は動物を食べない食習慣だったと思う。しかしどこかでたんぱく質を摂らないといけないので魚を中心としたと思われる。明治維新後に急速に肉食が普及したのは、ペり-来航時の米国の船員の体格に劣等感があった。そこで幕府は相撲の力士を派遣した記録がある。日本の栄養学はアメリカ人との対格差を食から調べることから始まる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする