年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

浅草の白い和装から

2023年09月17日 | 宅老のグチ
浅草演芸ホ-ルに行くとき、都営浅草駅で降りて、雷門から仲見世を通り、浅草寺に参拝後に行った。観光客が白い和装をしているのだが、ちょっと前に菅原伝授手習鑑の寺子屋の段を見ているので、松王丸夫妻の死に装束と似ているなと感じた。結婚式の白無垢は神社のイメ―ジがあって、寺院の葬式は黒の和服と感じる。従って今に人には白系統の和装は抵抗が無いとおもう。
 寺子屋の段で松王丸の実子が亡くなったのだが、逆縁と言うことで葬儀には出ないという風習を亡くなった子は官秀才と言うことで葬儀に出て、いろは送りの浄瑠璃がうたわれていた。この辺はイヤフォンガイドで知った知識。


逆縁の場合、親や夫は喪主であっても葬儀の所に行かないという風習があった。
諸説あって「親に先立つは不孝」ということわざもある通り、子は生きているだけで孝行だという考えがあります。そのため、親より子供が先に逝くことを「親不孝者」として、親不孝を働いた子供の火葬に親が行くのはまかりならないという説もあった。遺族の動揺が激しく、家族の最期に立ち会わない行為をまわりに非難されないで済むように出来たしきたりだと解釈する人もいます。普通の死でも火葬場の前の別れはつらいもので骨になってあきらめ事が出来ます。
「すまじきものは宮仕え」の出典は?「菅原伝授手習鑑(てならいかがみ)」の「寺子屋の段」か。 仕えていた主君への忠義のため、罪のない子を犠牲にすることを思いついた武部源蔵が言う。 「せまじきものは、宮仕えじゃなあ」
 
いろは送り
 いろは書く子をあへなくも、散りぬる命、是非もなや。明日の夜誰れか添乳(そえぢ)せん。らむ憂ゐ目見る親心、剣(つるぎ)と死出のやまけ越え、あさき夢見し心地して、あとは門火に酔ひもせず、京は故郷と立別れ、鳥辺野指して連れ帰る

 身代わりとなって亡くなる松王丸夫妻の実子が寺子屋に入って、いろはと習字を書いている子に間も無く死んでしまう知っている虚しさ。寺子屋の段では習字の文章が南無阿弥陀仏という紙が観客の前に披露させる演出があって涙を誘う。

 今の世に伝わり残る言葉の意味を知った。
コメント
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