ふとした映画予告編で興味を感じ、公開初日の渋谷ユ―ロスぺ-スで(福田村事件)の映画を観ることとした。渋谷の映画館は東急百貨店の本店跡地に近い所でビルの3階にある。9月1日は1100円の日で予期せぬラッキ-感があった。
福田村事件とは大正12年9月6日に起きた、千葉県東葛飾郡福田村で起きた福田村村民による四国の行商人15人の内、婦女子を含め9人が虐殺された。この経緯を映画化したのだが事実だけでない脚色もあって時代風景を描いている。2時間17分の映画では震災直前の福田村の周囲の状況を知っていないと理解できない部分もある。
この利根川寄りの福田村は今は千葉県野田市に入っているが、グーグルマップで見ると柏市にも近い。野田市の付近は利根川に接している村と江戸川に接している村とでは若干違うと叔父の特攻の歴史で野田を調べている内に感じていた。江戸川寄りは醤油絡みの仕事が多い。
野田市の戦前は大正時代からキッコ-マンの統合で急速に発展した。その過程で、江戸時代からの取引慣行の見直しで、様々な問題が生じた。その中で醤油の容器である樽から瓶詰めに変える。季節労働者を手配師に任せることの改革を行っていた。その労働問題改革で野田市に左翼思想の人が溶け込んでいた。これが福田事件の伏線となる。そのため映画では時間と言う制約があってちょっぴり出て来るが多分普通の人は単なる農村の騒動が左翼と朝鮮人が出て来るということがなんだかわからないだろう。当時の野田醤油産業も底辺の仕事は出稼ぎの朝鮮人が担っていた。今の介護関係の人手不足をベトナム等の研修生で補っているのと同じである。亀戸事件(左翼思想の人の虐殺)も出て来るが本当は戦前の最大争議の前半だった第一次野田争議の頃だった。震災時に無政府主義者大杉栄・伊藤野枝 と幼児を殺害した甘粕憲兵隊大尉らしき人もチョット出て来る。大尉はこの時の少し前に柏に住んでいた記録を読んだ。さらにこの映画で日本人と朝鮮人との見分け方で15円50銭と言わせる場面と天皇陛下万歳という場面があった。15円と言うことは麻布十番の在日韓国人歴史館の図書室とかで読んだ本で知っていたが天皇陛下万歳と言わせることは知らなかった。これはすでに併合した朝鮮の話を出したか、昭和の第二次野田争議の終結のきっかけとなった天皇直訴未遂事件を暗喩しているのだろうか。
特攻した叔父はキッコ-マンの支援した野田農工学校(今の千葉県立清水高校)で学んだ。しかし野田争議に関して今も野田町を二分した労働争議であからさまに語ることは出来ないしこりが残っていると薄々感じる。さらにこの映画では師範学校(学校の先生を養成し、徴兵猶予があった)の地域の見方が理解できた。叔父がなぜ特攻になる可能性のある陸軍特別操縦1期生の試験を親に無断で埼玉師範学校から願書を出し受験し、不合格となり、その後欠員から繰り上げ合格となって他の同期生とより訓練がひと月少ないのに、特攻隊長となったのは意地だったのだろうか。貧しい農民が授業料が安い安定した先生をどう思っていたかが理解できた。
映画では政治誘導と新聞拡販のために論説を事実より、売れる記事と言う日清・日露の後遺症が残っている。この新聞記事で朝鮮人等の暴動が事実を見なされ、皇民となっている朝鮮人を平気で殺すことを映画で表現していた。日清戦争体験は人を簡単に震災後の社会不安で人を殺すこととなる。日清日露の慰霊碑は戦国時代からの兵農分離となった、明治の屯田兵思想が普通の農民が国の統合のために意識変革が変わった。
この映画は表面的には暗い映画で中身は濃い。高気温の渋谷を出て、工事現場の渋谷東口バス停より新橋駅行きに乘り、都営大江戸線赤羽橋駅で乗り換え両国駅で降りる。震災記念堂に向かうのだが歩道上には縁日の出店があって、3月10日と違った風景があった。横網町公園にはテントがあって慰霊の人がいたが、機動隊の人もいて何事かと思っていたら、朝鮮人虐殺慰霊碑の前で集会を開いていた。福田村事件では日本人が理不尽に殺された。同時期に朝鮮人、中国人、社会主義者が殺されている。しかし記録類は少ない。なぜなら殺した人は記録しないからで殺された人は探す。今回の福田村事件は目撃者の周辺が自尊心のための記録収集したようだ。
戦前の最大の労働争議が野田市であって、暴力で死者が出たことや、会社派と労働者派の児童を学校の場にも持ち込みいがみ合いがあって、同盟休校騒動もあった。従って福田村事件を語ることは昭和の戦前を語ることになり、戦争への道を震災が拓いたと言える。言論の自由が戒厳令と言うことで簡単に制御出来た。これを今見習っているのが中国でスパイと言うことで治安維持が簡単にできる。それでも天災は容赦しない。