中央区日本橋本石町日本銀行の隣の貨幣博物館へ行きました。34年ぶりの株高の日に日本金融の元締めを表敬訪問しました。知識としてお金はその政治の信任の印と貨幣博物館で実感しました。敗戦後に新円交換後の紙幣は今でも使うことが出来そうです。戦前の紙幣は一応無価値で骨董品の様でした。
日本橋本石町の地は江戸時代の金座として存在していて、にわかに信じがたい。都営浅草線日本橋駅で降りて、普通はコレド日本橋の方に行くのだが首都高速の日本橋の部分が工事中でその様子を見ながら、道路の起点である日本橋を渡り、三越の脇を通り、貨幣博物館へ行く。無料だが一応荷物検査と館内の規則の説明、主に写真撮影の様で見学後にどこが写真撮影すると不都合があるのだろうかと疑問を持った。多分紙幣に関しての技術漏洩の所かもしれない。しかし印刷した紙幣を堂々と増やしているのは日本しか思いつかない。話題となっている中国は異国人が中国でスマホ登録と中国で使える支払い手段が無いと、何も出来ないようだ。それでも汚職事件で見つかるのは紙幣と貴金属のようだ。紙幣はいつ使うのだろうか。
日本史で和同開珎を習ったが、一時中国の宋銭が日本の貨幣経済の時代があったことを知る。日本の運の良い事は、国内で金銀銅の鉱山の発見と金属化の技術導入があったことだろう。江戸時代は鉱山の産出が減り、本格的に鎖国経済となった様子が解かる。この時のトラウマが輸出が善で、輸入が悪という印象教育の始まりかもしれない。
そして幕末の不平等条約の金と銀のレ-トの差による物価高。これがどう収まったかという説明が今まで判らなかったが、日本の金小判の改鋳で金の含有量を減らし、外国のレ-トと同じようにしていたという。この対策を進言した人の名は知れない。しかし金小判の改鋳は物価高になる。
予備知識なく行ったので、もう少し政治の信任と価値の問題を知りたい。日本の株高は西欧の株取引者から見ると、中国から資金を引き揚げ、日本に暫定投資のように見える。この滞在は短いと感じる。
貨幣博物館を出て、呉服橋の高速道路入り口が消えていた。首都高速日本橋付近の工事は2035年に地下化が終わり、撤去工事が2040年終了と言う。多分見ることは出来ないだろう。生きてはいまい。