東証の最高株価が1989年12月29日だった。しかし西暦表示なのでこの年に何があったか記憶を取り戻せない。そこでこれから都立中央図書館へ行って、新聞縮刷本を読みにゆく。東京の中央図書館には4紙の縮刷版があって、朝日がほぼ全部で読売はデジタルなら明治から検索できる。
1989年は和暦にすると平成元年という。そこで思い出すのは昭和63年秋の昭和天皇の下血から始まった、昭和の終わりという何とも言えない雰囲気だった。まだ築地での経験が浅く、年末商戦が一年の締めくくりと新年への期待の商いということを知らなかった。知らないということは気楽で世の中がどう対応するか眺めていたことを思い出す。それゆえ昭和の終わりの日から平成の始まりの月の記憶は今でも思い出す。ところがその年の年末という日に東証株価が最高だったという浮かれ感の記憶がない。この株価の後の翌年のつまり平成2年の大発会(1990年1月4日)から株価がダラダラと下がり、時には暴落し、また政府の対策で上がり、少し経つと銀行が危険となり、さらに委縮感が出て、長期不況となり、世界史の歴史に無いデフレとなり、金利がゼロとなった。この金利がゼロという歴史も近代では日本しかなく今このゼロ金利が終わろうとしている。世界の経済学者で日本経済を研究するモデルは江戸時代末期の天保の改革(株仲間の解散とその株仲間の再興)が今まで研究されてきた。国が閉鎖的で平和で他国の干渉を受けないし、さらにデ―タも揃っていて研究しやすかったかもしれない。今の犯罪の証拠である指紋も日本では江戸時代から掌紋と言って、紙に捺された手形に文字を書いて、この紙を持っている人にお金を払ってくださいという手形が始まった。手のシワの形が人によって異なるし、変化もしないとことが知られていたようだ。今でも掌紋は大相撲の力士の色紙に形が残っている。指紋が犯罪調査の証拠となったのは明治以降で日本の始まりなのに世界の扱いは異なる。株の先物取引も日本から江戸時代にコメ相場から始まる。ローソクという言葉も日本のコメ相場から。平和で信用を重んじる世界がかって日本にはあって、そこから一度失敗すると再起不能の世界となった。でも世界は失敗をコヤシとして再起する人が普通で日本の低迷もここから来ている。
指紋の事で思い出したが左翼の人と在日韓人が日本居留の際の指紋採取で騒いでいた時代があった。今は海外旅行でアメリカ・中国等で普通に入国時に指紋と顔写真を撮られる。誰も騒がない。あの時代は今から思うと何だったという気分が残る。
金融取引で手形と小切手の交換所が間も無く消える。すでに電子取引で決済していたがやはり地方の取引先には人材不足で経理の人に任せるということが出来ないようで築地時代に決済日に手形が回ってこなくて、慌てて先方に電話して銀行に手形を出してもらったことがある。これは決算月に変な数字になるので三月末は手形決済の得意先も事情を話して振り込み決済にしたこともある。福島大震災直後の話である。