靖国神社に昇殿参拝すると遊就館の割引券が出る。その割引券が回ってきて、行くことにした。神社にはまだ5日の雪が残っていて、人出も少ない。参拝後に昇段参拝する受付所で昇殿参拝料の値上げ案内の看板があった。間も無く2000円から3000円になるという。その付近には古木化した桜の木があって、あの戦争で満開の桜の下で会おうと言って死んでいった兵士も桜の様に記憶が朽ちてきているのだろうか。桜の活性化のため寄付の看板もあった。軍隊の戦友会寄贈の桜も古木化している。寄贈した年も昭和の年代ですでに50年程になる。
今回の訪問は北白川宮(輪王寺)の扱いをもう一度確認するために行ったのだが前回時より遊就館扱いが小さくなっていて、北白川宮永久王の未完成像が気になった。さらに気が付いたことは、有栖川宮と小松宮の扱いで、小松宮の方が上位だったこと。
そこで全般的に皇族の扱いが目立つ。先の戦争で多くの人が亡くなった。そして人口が減りつつある日本で記憶の元となるところが消える。
靖国神社を出て桜の開花時の人気で都内で一番の千鳥ヶ淵へ行き、戦没者慰霊碑の所で手を合わす。無名の遺骨はここに眠る。さらに全戦没者の名簿も載る。靖国神社で戦前の戦死者名簿の儀式の様子が見られた。これは日本の土俗なのだろう。災害の多い日本は戦争の一番の被害者も扱う風景は同じように見える。八百万の精神かもしれない。くさむすかばねはいつかは分解され土にる。
千鳥ヶ淵での参拝は三浦半島観音崎の戦没船員慰霊碑の参拝時を思い出す。誰もいない南がひらけたところに立つ碑は風の音しか聞こえない。何か忘れないで言っている。先の戦争で日本の海運従事者が物資と兵士を乗せて、海に沈んだ。名簿上では60331人という。報われることなく海底に眠る戦没船員の御霊を慰めるとともに、二度と戦火のない海洋永遠の平和を祈念するため、昭和44年海運・水産界の関係者によって、慰霊碑建立のための財団法人戦没船員の碑建立会が設立されました。 でも誰もいない慰霊碑でした。
その後東御苑まで行き、目的地の梅林を見たら、満開に近い梅の花でした。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/7c/3826ede09bf5429e20a156ab466640cb.jpg)
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平川門から毎日新聞社・小学館で都営三田線乗る。1万5千歩。