先のバブル崩壊の指標の数字が終わりそうになってきた。最近読み始めた本でデフレが30年も続いた国は世界の歴史上では日本しかないという。多くの国で不景気によるデフレや恐慌があっても短期間で終わって、またインフレの世界となる。ところが日本だけがデフレが長かった。おおくの小手先対策で今の国の負債というべき国債発行額がとんでもない数字で敗戦直後の日本の負債率よりはるかに多い。そんな負債国家が先の国の統計ではデフレが続いているという。多くの給付金で景気を浮上させようとしたが結局は数の少ない低所得者が生活維持の支出を増やしただけで、大部分は貯金となった。普通の国では国家の信任が無くなるとインフレとなる。大量発行された日本国債は日本国民の預貯金の預入先の銀行が購入している。それゆえ危機感が無い。
逃避の代償 -物価下落と経済危機の解明-小林 慶一郎著 2003.11
この本が出たのは2003年11月だがこの後まだ20年以上デフレが続いた。これは世界史でも最も長いデフレのようだ。株の取り引きの諺で山高ければ谷深しというけれど谷がこんなに広いとは格言には無いような気がする。どこにこの長期デフレの要因があるかはこの小林氏の最終章に書かれていて、欧米の企業不祥事の処理の仕方が厳しく、日本は先送り処理という。言われれて見ればオリンパスや東芝の件も不祥事の先送りだったと言える。特に悔やまれるのが公的資金を銀行に注入することに反対した新聞等への批判がある。昨年のアメリカのシリコンバレ-銀行の破綻の後すぐの公的資金の投入は日本の経験から来ているように思える。
長寿企業の多い日本は江戸時代の家業という意識があって、組織を拡大することは出来ても、見込みのない企業を倒産以外で廃業することは困難と思える。このことは築地市場移転時に多くの弱小業者が悩んでいたことを知っている。量販店やコンビニに拡大で市場参加者が減り、その関連も減ることが判っていて、子供による事業継続を拒否される事例が多々あった。地域の地場産業が時代の変化で先行きが暗いと思っていても、転業等の成功例が少なく、多くは消えていった。
中国の不動産バブル崩壊後に、日本の経験を学んだという中国がどうして公的資金を銀行に投入しないのか不思議だった。どうも数字の整合性がとれないと見ている気がする。日本の敗戦間際の米軍艦船が海軍の特攻で大戦果を挙げたという報道で多くに無駄な陸軍の特攻死を招いた。
中国のバブルを退治するには正確な数字から始まる。そしてこの数字はいつか外国に漏れる。
日本の最近の統計で名目GDPが中国の名目GDPより高いという、数字のマジック報道があった。日本のインフレと中国のデフレで統計上そうなるという。実感なし。中国の報道を見ていると毎月の様に新幹線と道路の新規開通が報道されているし、春節の混み具合を見ると、日本のバブル崩壊時も当時の貧者は関係なかった。中国の大多数は不動産投資と縁のない人だろう。ただ不景気の風が吹いて節約に向かっていると思われる。この様子は間も無く報道される。春節時の農村地域で都市へ出稼ぎに行った人の交流がある。そこで人民日報とかの報道でない生の事実が語られる。間も無く都市へ戻るのだが流民という歴史経験がある中国人民は何処へ行くのだろうか。Jタ-ンと予想する。Uターンはあり得ない。この辺の統計は安さを売りとしてきた都市かもしれない所から来るように思える。日本と違って中国の人は給与に関して厳しい目を持っていて、無給で働いているにはそれなりの見込みがあるという。このそれなりは何か日本の報道では見えない。これが中国ヨイショ記者だらけの、日本の報道機関の欠陥である。