年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

都内の梅の名所めぐりで

2024年02月25日 | 宅老のグチ
今年は都内の梅の名所を2月の予定のない時間に歩き回った。残りは少ないが新宿御苑と小石川後楽園が残っている。そこで1回は行ったことがある新宿御苑を行ってみることにした。新宿御苑は御苑という名から皇室から下賜された。江戸時代は甲府から攻め上る西軍を抑える目的があって、街道筋には武家でも戦闘を意識した幕臣が住んでいた。半蔵門は忍者が有名である。御苑の中にミュ-ジアムがあって、そこに成り立ちの歴史がある。しかし展示物には助けたお雇い外国人の影響は見えない。
 福神漬の資料で福島の石井研堂が著した明治事物起源の缶詰の始まりに、そのことを匂わす記述がある。お雇い外国人の住いが津の守に住んでいたという。そこが今の都営新宿線曙橋駅付近で、防衛省があるところでもある。津の守という地名は尾張藩の支藩で松平摂津守の人達が住んでいた。幕末の尾張藩は尊皇の扱いで藩内が割れ、後継ぎの事でも揉めた。その時に支藩から幕末の尾張藩主が選ばれた。動乱の幕末に津の守で生まれた男子4兄弟が明治維新の複雑さを示している。このことをなぜ缶詰の始まりに石井が記述したかが謎である。缶詰の文献の些細なことを調べると誤記が多く、いや前半の文章は明治の記録に関わらず、島原の乱、択捉島に日本の領土という柱を建てた近藤重蔵、紋別漬というものも出て来る。
 新宿御苑の梅の花は散り際で、白い花びらが地面に模様を描いている。桜の様にはかないという想いにはならないのが梅の花。長期間咲いていて、散った後には実がついているのが見える。それにしても嗅覚の衰えを自覚する。
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