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 年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

樽 沢庵漬の容器の話

2024年09月13日 | タクワン
戦後、樽を使っていた食品(醤油、酒等)がプラスチックの容器に変わると、桶樽の職人は仕事を変えねばなりませんでした。一部の高齢の職人は高度成長経済の中で人手不足の漬物業界で樽の修理をしつつ、生活していました。重石をのせるため、漬物に向くプラスチックの漬物用の樽は中々出来ませんでした。量が少なく、価格が高かったためです。静かに消えていったに日本の万能の容器・スギの木樽を考えて見る。
漬物と樽の歴史
普通、杉材の板を合わせて竹のタガ(輪)で締めたもので、正式名称を「結樽(ゆいだる)」といいます。15~16世紀に急速に普及した結桶・結樽は、その優れた特性から、産業や生活のさまざまな分野に取り入れられていきます。特に、醸造業や液体の輸送業(酒・醤油等)の分野でその有効性が発揮され、江戸時代の諸産業の発展の基盤を担っていました。樽は繰り返し何度も使え、資源を大切にするリサイクル容器だったわけで、不要になればバラすのも簡単で便利。空き樽も回収され流通していました。また、樽は適当に壊れ、樽製造の需用が創出され、スギの林業経営が成り立ちました。

桶と樽 : 脇役の日本史
小泉和子編
この本との出会いが自分の人生に変化がきました。
桶と樽の違いから、最初は九州大宰府付近の井戸の囲いのような底の無い木の筒のようで、井戸の中に土砂が入ることを防いでいたようです。遺跡発掘の年代調査で徐々に東進し、室町時代に九州から京都に着いたようです。
 タクワンの4種類の材料・資材が今の大阪府堺の地に集まったのです。
 瀬戸内の塩、干しダイコン、清酒醸造の過程で精米技術の発展があり、それに伴って米ぬかが余ってきた。そして杉の樽の発達。
 日本酒は樽が出来るまで壺や甕で醸造されていて、室町時代の物品税の酒壺税で、脱税するため、木の樽は夏場は解体して逃げていたようです。壺や甕より樽は軽く運搬にも容易でした。

結桶(結桶に蓋をつけたのが結樽)の歴史
 日本では11世紀後半の北部九州地域に発掘調査で井戸枠として作られた底のない結桶が出土してます。13世紀後半から14世紀になると瀬戸内以東の地域でも少しずつ出土例が確認できるようになります。絵巻物などの絵画資料や文献資料でも13世紀末から14世紀初頭にかけての時期から結桶の存在が確認できるようになります。15世紀から16世紀にかけての時期になると各地で結桶の出土が目立つようになります。結桶はゆっくりと各地に広がりました。
 15世紀以降結桶(結樽)が急速に普及してくる原因として結桶(結樽)製作技術の革新があったことが思われます。草戸千軒町遺跡で14世紀代に井戸枠として作られた桶の側板の側面に (やりがんな)と呼ばれる工具の痕跡が確認できます。やりがんな というのは、日本に古くからある大工道具で荒削りです。しかし15世紀の井戸材を観察すると、台鉋のような工具で一気に加工されていることが確認できます。台鉋は、製材用の縦挽鋸である大鋸などとともに室町時代に中国から渡来して日本に定着したといわれる工具ですが、 やりがんな に比べて正確で効率的な加工が可能になったと考えられます。隙間の出来ない木材加工が出来るようになりました。杉の木材の特性を生かした樽が誕生しました。壷や甕より軽く液体の漏れない容器が樽です。

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米ぬかを調べるために、麻布十番から都立中央図書館

2024年09月13日 | 宅老のグチ
猛暑というか激暑の日に米ぬかの文献探しで都立中央図書館へ行く。やはり都営の浅草線と大江戸線は異国人観光客で人が少ないのに荷物で混んでいる。
 アルゼンチン大使館の前のマンション建設が告知版によるとほぼ最後のコンクリ-トの打ち込みのようだ。この前に韓国大使館前の港区立の小学校の工事も最終段階だった。何か麻布十番は建設工事のど真ん中という感覚がある。良く例えで土地の価格から足の靴の土地はいくらと言っていたがもう渋沢栄一が一枚でなく、重なっている。建設工事は一部を除いて遅れてはいないようだ。
 図書館へ付いたのが11時少し前。早速図書の検索をするのだが、ほぼ海面の高さから図書館の海抜30Mを超える高さまで登ったので、汗が噴き出す。家では頻尿気味が図書館の丘昇りで汗が出て、トイレに行くことは稀となる。
 検索で米ぬかと入れると30冊を超える資料が出るが雑誌が多く、勘で出すのはやめて本を探す。
日本の食生活 安武律著 日本の食生活 全国食糧振興会 1993年刊行
 出された本を読むと、米ぬかの効用と全国各地の米ぬかの利用食文化が出ている。ほぼ漬物が多い。中身をパラパラ読みで、じっくり読んでみるか、古書の購入とするか決めかねて、家で判断することにし、3階の資料を探しに行く。
 3階には戦争の本があって、特攻の本を読む。
特別攻撃隊全史 この本は開架で叔父の昭和20年5月20日に鹿児島県知覧町から出撃した陸軍第50振武隊員9名を書き写す。小飛13というのが少年飛行兵養成所の出身で特攻時の年齢が若すぎる。大正の震災前後に生まれ昭和の時代に何も良い事は無かったのだろうか。第50振武隊は台湾と共同の作戦で、想像だが三角小屋での特攻までの待機時間が叔父達より長かったと思われる。
 もう一冊は今の観光地化した知覧の特攻平和会館の様子が描いてある本。読んでいると早田ひな発言が今の日本スポ―ツの人に沁みとおっているいる様子が見える。頭ごなしの訓話より、自分で追い込まれた時の対処の仕方を見つける場となっていて、広島・長崎の様に見た後も、周りの風景が記憶の咀嚼となり、残る気がする。鹿児島のビルまでは長い帰り道である。
 根気力が2時間で消え家に帰り、米ぬかの古書を検索する。出てきたので購入。
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