九段下の昭和館4階の図書室で、台湾神社(台湾神宮)の記録を読んでいて、その由来が記述にあった。多くの日本の神社には由来がある。日本の神道は古代では、あらゆる物に神が宿るとされ、特に大きな木、巨大な岩、あるいは山などは、「崇高な神様が降りて来られ宿られる特別の場所」と考えられていました。 そして、その宿られる物は、神様として拝め奉り、四季折々に祭りを行ないました。その後、その場所を特別な所とし、通常の場所とは違う、神聖な場所として区別するために注連縄を張ったり、石で囲いを作ったりしたのです。
この神道を理論化したのが日本神話で、世界の宗教の中では異質感があります。八百万の神という考えです。それに公式に編纂された経典が無いと感じる。そこから他の宗教から、批判される文言が存在しない。日本の神と思われる存在は太陽でこの太陽を否定する宗教が無いように思える。
自然災害の多い日本でからこそ生まれた宗教の様に思える。一番馴染んだ外来宗教が仏教であった。その仏教でも明治維新時に批判され、多くの仏像が壊され、海外流出もあった。キリスト教も戦国時代に広まったが、徳川政権時にほぼ消えた。そして明治期にまた日本へ欧米から布教活動をしたが、いまだに信者数が低迷している。日本人の冠婚葬祭のうち、結婚式はキリスト教系が目立つ。753は神道、葬式は仏教。
このごちゃまぜの宗教観は一部の新興宗教によって批判されているが殆どは、ごちゃ混ぜの宗教で生きている。文部科学省の統計では日本の宗教人口は国勢調査の人口よりはるかに多い。いかに複数の宗教に日本人が登録している様子が見える。
台湾の神社は日本が台湾を占領してから、創建されたので、日本政府の意図的な神社である。殆どの台湾にある神社は北白川宮能久親王を祭神としている。ついでの様に古事記由来の神も由来に記述となっている。
戦前の事を知っている台湾人は神社をどう思っていたのだろう。戦前の台湾神社の跡地にホテルが建てられ、圓山大飯店となって、多くの日本人がこのホテルに宿泊し、台北観光をしている。
最近知ったのだが、桃園市という台北市に隣接する市に戦前の日本神社の遺構がほぼ戦前のまま残っている。一部が台湾軍人の慰霊廟になっているが、外見上は日本神社という。行って見てみたい。桃園神社という。
この神道を理論化したのが日本神話で、世界の宗教の中では異質感があります。八百万の神という考えです。それに公式に編纂された経典が無いと感じる。そこから他の宗教から、批判される文言が存在しない。日本の神と思われる存在は太陽でこの太陽を否定する宗教が無いように思える。
自然災害の多い日本でからこそ生まれた宗教の様に思える。一番馴染んだ外来宗教が仏教であった。その仏教でも明治維新時に批判され、多くの仏像が壊され、海外流出もあった。キリスト教も戦国時代に広まったが、徳川政権時にほぼ消えた。そして明治期にまた日本へ欧米から布教活動をしたが、いまだに信者数が低迷している。日本人の冠婚葬祭のうち、結婚式はキリスト教系が目立つ。753は神道、葬式は仏教。
このごちゃまぜの宗教観は一部の新興宗教によって批判されているが殆どは、ごちゃ混ぜの宗教で生きている。文部科学省の統計では日本の宗教人口は国勢調査の人口よりはるかに多い。いかに複数の宗教に日本人が登録している様子が見える。
台湾の神社は日本が台湾を占領してから、創建されたので、日本政府の意図的な神社である。殆どの台湾にある神社は北白川宮能久親王を祭神としている。ついでの様に古事記由来の神も由来に記述となっている。
戦前の事を知っている台湾人は神社をどう思っていたのだろう。戦前の台湾神社の跡地にホテルが建てられ、圓山大飯店となって、多くの日本人がこのホテルに宿泊し、台北観光をしている。
最近知ったのだが、桃園市という台北市に隣接する市に戦前の日本神社の遺構がほぼ戦前のまま残っている。一部が台湾軍人の慰霊廟になっているが、外見上は日本神社という。行って見てみたい。桃園神社という。