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 年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

 秋‣長雨の始まり

2024年09月22日 | 宅老のグチ
日本の政治はある程度は主流の動きの継続で歴史が動いているが、そこから天変地異とかの異質の事象で継続性が傷つき、主流派の惰性と思える継続に疑念が生じ変化が生まれる。ところが多くの非主流の人は政権の維持に慣れていないので,取った政権の維持に失敗する。
 今日本の政治のリーダ-を変える制限選挙中で普通人は投票権利が無い。結果待ちで、その後の選挙で判断を下すしかない。
 台風14号崩れの大雨でまた能登半島で大災害になりそう。半島は先が無いので復旧は遅れがちで気になる。半島はその字が示すように、物流にとって島のような存在で、目的が無いと行くことは無い。だから島を活性化するには島自体が目的地になるしかない。今の能登に目的地となる行事等が復活、もしくはアイデアが生まれるのだろうか。
 今日の雨の日はまた上野戦争の文献読書。
彰義隊始末  -上野戦争の全貌-
著者 島峯颯平 昭和42年刊
 島峯颯平氏は台東区史の編纂者の一人だったが区史の編纂方針と自説の食い違いに気が付いていて、この本を書いたようだ。主な部分は江戸城の無血開城の功績が薩長史観の勝・西郷でなく、主な努力が輪王寺宮の努力の上に山岡鉄舟と勝海舟が歴史記述として残っていると見ていたようだ。
 従ってこの本の中心部分は彰義隊の部分でなく、輪王寺宮と同行した覚王院義観の駿府行きの様子でもある。
 ところで輪王寺宮の制度の始まりを考えると寛永行幸に気が付く。
守澄法親王 初代:後水尾天皇の第3皇子で、承応3年(1654年)に日光山と東叡山寛永寺の住職に就任しました。翌年、天台座主となり、朝廷から輪王寺宮の称号が与えられました。
 そして最後の輪王寺宮の歴史記述が下谷の市民たちの不満が出ていた様子が見える。下谷は寛永寺の門前町で荒川区の地域は知行地であった。
 タクワンと福神漬の命名由来の混合にもなりそう。
コメント
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