年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

男女の高校生にナンパされ・運動会にでることになった

2024年09月21日 | 宅老のグチ
10日ほど前に、ス―パ-でコメの在庫具合を視察後に、家に戻る途中の道で男女の高校生に声をかけられた。健康そうな男女でチラシを持って、運動会に参加してほしいと言われた。こちらは高齢者でイマサラ運動会で動かしていない体を競争で無理してケガしてはいけないので無理といったら競争は無いという。チラシは高齢者向きの運動という企画で生徒たちで考えたようだ。彼らの必死のお願い観
があって、一応参加することを口約束するが、チラシの内容が参加予約が電話かQRコ-ドで参加申し込みであった。
 高校生のやることで、今の高齢者のデジタル知識が無いのを知らないと感じ、QRコードで申し込んでみた。彼らは楽にスマホを扱っている様子が見えるが高齢者の日常が知らないようだ。
 さて運動会だが学校の目的は在校生と親との交流と新入生の学校見学を兼ねていると見える。私立の共学高校で、偏差値は低いが生徒の態度は良い学校で生き生きとしている様子があって、近隣の人達も良好な関係で、近所に地方から来ている学生寮もある。
 チラシを配っていた生徒は高校3年生で礼儀も良く普通なら受験で大変な時期に入るのだが今年の高校生の就職活動の様子から受験の危機感が無い。さらに大学でも推薦入試で金さえあれば入学できるし、今の人手不足なら4年後もいい仕事は無くとも生きるだけの仕事とみれば良い時期に生まれた子供と思える。
 彼らは17歳か18歳で80年ほど前に、叔父はこの年代の人達が特攻仲間で戦死した。高校生の楽し気な様子を見ていると、大正12年頃から後の年代に生まれた人たちに楽しい思い出はあったのだろうか。
 最後に担任の先生に叔父の話をして、今の若い人に戦争に行かないように頼んだ。でもウクライナの戦争から指導者の指示でいつでも戦争が始まる現実を知った。先の戦争の経験から日本が先に戦争を仕掛けることは無いが攻撃されれば受けて戦わないと奴隷となる。北朝鮮の様子からあの国は太めの人は一人であとは国民がガリガリの体形となっている。まだ中国は太めの人が多く、習体制で行くしかない。もし崩壊すると内戦となり、日本も戦乱・混乱・難民問題で難儀する。その理由は簡単で日本は言論の国でなく、空気を読む国で判断が遅い。あっという間にきれいな国がゴミだらけの国になる。
 中国人嫌いの日本人が高齢中国難民を恐れているが介護の施設で日本語の介護者でも不足しているのにバイリンガルの介護施設があるのだろうか。多分引き籠りの生活になるので中国で牢獄生活の方がましと思う。
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病院の待合室で上野戦争・幕末を想う

2024年09月21日 | 宅老のグチ
75歳以上の高齢者の運転免許の更新教習で目の不具合が気になって、調べたところ、後発白内障という診断だった。眼科医の説明では、白内障で目にアクリル製レンズを入れても時間が経つと、レンズの後ろの保護膜が汚れることがあるという。そこで説明を受けて、10分程度のレ―ザ―照射で汚れを取るという。初耳で驚いて、家で調べることにし、一応手術を受けることにした。調べると手術自体の難易度は低そうで、まれに汚れが眼球内に漂い、飛蚊症のようなことが起きるようだ。
 さて手術の当日に目の瞳孔を広げる目薬を10分おきに数回ほど目にたらす。看護師さんが目の瞳孔の様子で点滴が終わる。この暇な時間で本も読むことも出来ず、上野戦争の疑問点を考えていた。この戦争は時間にすれば、数時間の戦争だったが考えようによっては明治政権の樹立が鎌倉幕府の倒壊時のような混乱になる可能性があった。南北朝が東西朝となることも想定できる。西朝廷はイギリス派、東はフランス派で中立がアメリカとなる。アメリカ南北戦争後の不要となった武器を日本に販売し、金銀の流出を狙っていた。島国日本は西欧の利権の争奪地でそれぞれの国の思惑があった。
 地勢と時代運でかろうじて日本はアジアのタイ国のような力の空白地帯となったに過ぎない。そんな運だらけの日本が世界の状況を知るにつれ、不平等な条約だと知らされたがここにも日本に運があった。
 日本は山が多く、平野が少なく、陸運が発達していなかった。幕府は内乱を恐れ船の技術革新を抑えていて外洋航海に堪えられない船だった。主な欠点は舵が破壊されると航行不能になってしまうことだった。今の日本でも年末は物量が増大する時期で、江戸時代の海難記録でも秋から冬に遭難が多かった。関西から江戸に運ぶ商船は江戸時代が上方経済から江戸に移ってゆくと、太平洋側の輸送が活発となり、遭難記録も増える。酒・米等から始まるが、幕末には今の愛知県の知多付近の海運業者の動きが文献上に重視されていない。それはスピード重視の樽廻船より、途中の寄港地で荷物を売り買いし、遭難リスクを減らしていて、記録も目立たない。
 関東の塩の流通を見ていると、幕府の保護を受けていた千葉行徳の塩業も度重なる塩田の天災で採算に苦労していて、塩の流通制御に苦心していた。
 函館の五稜郭付近で浦賀奉行の中島三郎助隊と共に戦死した千葉行徳の漬物商人喜兵衛はいつどこで北海道に行ったのだろうか。これには塩の流通史も関係してくる。
 このあたりの調べごとは愛知県知多の所で調べてみたい。伊豆下田で唐人お吉の歴史があって、お吉の出身が知多の人という記憶(実際はお吉は下田の人)があった。日本の政治は女性で接待する文化なのだろうか。多くの日本のお吉のp小説の記憶が今に残る。
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