埼玉県久喜市の本多静六記念館へ行って見たいと急に思った。晴天の日に都営浅草線押上駅で東武線に乗り換え、ほぼ1時間で久喜駅に着いた。久喜駅はJRの駅もある。あらかじめ調べていた情報で西口バス停に行くが、バスが止まっているのにバス停に人が残っていて、行き先確認したが不安で久喜駅の方に戻りつっ観光案内板を見る。本多静六記念館は菖蒲地域にある様で、バス停に止まっているバスの行き先に菖蒲という地名があったのを思い出し、ギャンブル的にバスに乗って見て菖蒲車庫行でもし間違っていたら運転手さんに聞いて降り出しに戻るだけ。
事前に調べた情報で本多静六記念館は久喜市菖蒲行政センタ-という建物の5階にある。ところがネットで検索すると二つの行き先が出ていて、一つはJR高崎線桶川駅より、新堀(にいぼり)バス停で降り、そこから歩いて10分という。同様に東武線久喜駅西口バス停から菖蒲車庫行に乗り、着いてから歩いて10分強ほど歩く。今まで経験した行政施設には普通にバス便がある。なぜ直接のバス便がないのかも気になった。目的の菖蒲行政センタ-は久喜駅から乗った朝日バスの菖蒲車庫行で正解で、終点の時に運転者さんから懇切丁寧に教えてもらい、道なりの二つ目の信号で左手遠方に高層の建物が見えるという。行くと標識があって、見ると5階以上の建物が水田地帯の先に見えた。どうも埼玉県は2010年の町村統合時に併合された村等の施設が田畑の中心に残っていて、地域の集会場となっている。久喜市も同様で菖蒲行政センタ-は統合以前の菖蒲村の行政施設のようだった。ダダ広い駐車場は市役所員と地域住民の車の停め置き場。従ってバス便を使う人がいないので、一応あるバス停は時間が消えている。
わかったことは本多静六は菖蒲村生まれというだけで、貢献度は埼玉県の方が多い。本多の寄付した遺産で多くの森が埼玉県で生かされている。なぜこのような地元の扱いかと思うのは本多は養子先の苗字であることから来ているのだろう。
記念館を出て、朝日バス菖蒲車庫から行政センタ-に来る途中の新堀バス停で20分間隔で桶川駅行きがあったので帰りは桶川経由で帰ることにした。桶川へ行くバスの行程の半分が乗客が二人だった。
桶川駅に向かうバス停が、後で調べると菖蒲村が出来た以前の地域の名称のような感じがする。まだ調べていないが江戸時代の中仙道桶川宿と日光街道の久喜宿との間を結ぶ道がバス路線となっていて、その中間地点の菖蒲村が2010年時に2万人が住んでいた。利根川と荒川の氾濫があって大変だったと思う。
事前に調べた情報で本多静六記念館は久喜市菖蒲行政センタ-という建物の5階にある。ところがネットで検索すると二つの行き先が出ていて、一つはJR高崎線桶川駅より、新堀(にいぼり)バス停で降り、そこから歩いて10分という。同様に東武線久喜駅西口バス停から菖蒲車庫行に乗り、着いてから歩いて10分強ほど歩く。今まで経験した行政施設には普通にバス便がある。なぜ直接のバス便がないのかも気になった。目的の菖蒲行政センタ-は久喜駅から乗った朝日バスの菖蒲車庫行で正解で、終点の時に運転者さんから懇切丁寧に教えてもらい、道なりの二つ目の信号で左手遠方に高層の建物が見えるという。行くと標識があって、見ると5階以上の建物が水田地帯の先に見えた。どうも埼玉県は2010年の町村統合時に併合された村等の施設が田畑の中心に残っていて、地域の集会場となっている。久喜市も同様で菖蒲行政センタ-は統合以前の菖蒲村の行政施設のようだった。ダダ広い駐車場は市役所員と地域住民の車の停め置き場。従ってバス便を使う人がいないので、一応あるバス停は時間が消えている。
わかったことは本多静六は菖蒲村生まれというだけで、貢献度は埼玉県の方が多い。本多の寄付した遺産で多くの森が埼玉県で生かされている。なぜこのような地元の扱いかと思うのは本多は養子先の苗字であることから来ているのだろう。
記念館を出て、朝日バス菖蒲車庫から行政センタ-に来る途中の新堀バス停で20分間隔で桶川駅行きがあったので帰りは桶川経由で帰ることにした。桶川へ行くバスの行程の半分が乗客が二人だった。
桶川駅に向かうバス停が、後で調べると菖蒲村が出来た以前の地域の名称のような感じがする。まだ調べていないが江戸時代の中仙道桶川宿と日光街道の久喜宿との間を結ぶ道がバス路線となっていて、その中間地点の菖蒲村が2010年時に2万人が住んでいた。利根川と荒川の氾濫があって大変だったと思う。