年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

年末の記憶と記録を残したい。

2024年12月10日 | 宅老のグチ
間も無く昭和100年になる。生きていて記憶を残すことが出来る。思えば10歳ぐらいの想いで出は、ラジオだけで、テレビも昭和28年から始まり、家に入ったのが昭和29年で普通の人は街頭テレビと言って、駅前の広場に設置されたテレビで見ていた。白黒テレビでパソコンの初期のモニタ-を見ていて、ちょっと前のテレビ放送を思い出した。カラ―テレビは1960年

 多くの郷土資料館でテレビが陳列されているが番組の選局でダイアルを回すことを知っているのだろうか。戦前と敗戦後の十年は間も無く歴史の世界に入る。この前日本一長寿の人が亡くなり、明治生まれの人があと一人となってしまった。5代の歴史の証人となる。
 5月の大雨の日に夕方老柴犬が3度ほど遠吠えし、家族の腕の中で首をたれ、去っていった。なぜか16年の想いでは残るが楽しい思い出しか残したくない。
 アニメグッズが高騰しているがデジタルの時代は古書の需要も低迷している気がする。
 こんな文を書いていて、政府は令和8年に昭和100年祭を行うようだ。何かイベントを重ならないようにしている感がある。日本の経済の低迷で工事現場の老齢と異国人作業員が普通になって、日本の風景に馴染んでいる。以前映画館で公共トイレ掃除人の映画を見た。雇用されている人はスカイツリ―が多き見える所の昭和作りの家に住んでいて、浅草で交友し、軽自動車で渋谷のトイレを巡回掃除する。
 今都心のマンションは高騰していて、千代田区二番町あたりの木造家屋が消えつつあって、よく見ると芸能関係の人の住いの様に見える。お弟子さんを家に入れて稽古をつけるのは都心のマンションでは不都合の様に見える。そんな街にまた建つのがタワマンで先住民が不快感を直に出せずに、女子生徒の盗撮懸念で対抗している。そんな女子高校も少子となり、九州では絶滅危惧になりそうである。
 明治の10年代まで少女という階層は無かった。ただ少年という。つまり銭湯の中に男の子と女の子も区別できないことが普通だった。そこからキリスト教の伝道から少年と少女が分けられた。従って男子の小学校の歴史の文献は江戸時代以前ということもある。ところが女子教育となると明治のキリスト系学校から始まる。
 明治憲法が発布され、日本主義という概念が生まれ、それに馴染まないキリスト系学校が苦難となり、最終的に戦争協力者となって、今でも日本でのキリスト教信者は圧倒的に少ない。しかしながら表面的なキリスト教文化は受け入れている。節操のない日本文化。これが先の戦争責任を追及する中国・朝鮮半島の人達をいらいらさせている。
 今年は竜の年で来年は蛇の年。竜と蛇はどう違うのだろうか。本当の龍は中日ドラゴンズしか思い出せない。そして蛇は出雲のヤマタノオロチとなる。
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