年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

日本は恐ろしい国

2024年12月07日 | 宅老のグチ
東京都庁の最上階の無料展望室でいつも天気が悪くても富士山の方向を見てから帰る。後は明治神宮の森の緑を確認し、下りのエレべ-タ-の行列中に今日の記憶を頭に入れる。
 富士山は関東地方の人にはランドマークで、多くの地名で富士見の地名が残っていたが今は日常的な富士山を観測するところも空気の汚れで、ぼんやりしか見えないし、多くの高層の建物で富士山が隠れていてすそ野まで見える雄大さが消える。
 そんな富士山の気持ちの恩恵より、富士山が活火山という被害を受けていた小田原郊外に偉人がいた。名は二宮尊徳という。戦前の多くの小学校で道徳教育が行われていて、二宮尊徳は記憶に残る人物となった。ところが戦後になると二宮尊徳の教えが先の戦争の思想的背景として否定され、多くの小学校で薪を背負い、本を手にして歩いている銅像が撤去された。今のスマホを手にして歩いているのを禁止されたようなことになる。尊徳の経歴は日本の農家の出身の高齢者はほぼ知っていると思われる。
 多くの篤農と言われる人物が江戸時代末期の記録に現れる。ところが戦後農政とそれに対抗する学者に加え、GHQの御旗を背負ったアメリカ流の学説が日本の一次産業を結合を緩めた。それは効率という言葉だった。
 朝鮮戦争の勃発で、日本の工場の稼働率が上がり、そこから農村部の人手が都会に回り、さらに農閑期の出稼ぎが、地方から出たことのない人たちを覚醒化した。ここから農村部の見栄文化が消費の拡大となったが、本質的には自給自足の文化が滲み込んでいることを無視している学者たちがいる。この辺りが今でもポツンと一軒屋に住む人たちの本音だろう。同様な事例で今年の正月の能登半島地震で多くの人が亡くなったが高齢者ほど現地から逃げない。基本の考えはイマサラ都会に移住して、新規の所に馴染むことが出来るかどうか。ひきこもり生活で話題も少なく、数年後の忘れた時の孤独死を予想する。村の世界は贈答文化があって、日々の無償提供文化があり、そこには共同体の空気があって、よそ様は馴染めない空気がある。ここから農村部の人達は低年金でも生きて行ける。物々交換は消費税が生じない。従って消費税の低減や廃止も役に立たない。むしろ消費税の20%以上の増税の方が日々の物々交換のありがたみが伝わる。自家用の無農薬野菜、出荷できない不揃いの農産物、規格外の水産物等々。多くの政治家の票目当ての給付は低収入の自給農家民は貯蓄するしかない。買う必要がないのである。もう見栄を張る年が過ぎてしまった。
 低収入でも生きて行ける仕組みが地方農村部にある。ここに地方の若者が老人男性に支配されている澱んだ空気の農村地帯から脱出する原因となる。出生率の高い、持ち家率の高い石川県富山県の高学歴女性が殆ど都会に出てしまう原因でもある。
 この辺りを解決するには地方の駅前タワマン生活があるかもしれない。見栄文化と地方の高品質激安生活。一時間前に畑にあった無農薬の農産物が自宅に届く。京都の大原女があった時代の復活もタワマンの所でワゴンの自動車が日替わりで昼食を提供しているのを見ていてふと思った。戦後のやみ市の時代に担ぎ屋という行商があった。
コメント
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