年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

何でも漬物のことは見聞きしているが中国の窄采・ザ―サイは?

2024年12月13日 | 築地市場にて
中国のザ―サイのことを書いたのだが実際のザ―サイの生を見たのは神奈川県三浦市の生産者が築地市場の時代に売り込み来たがうまく拡販できなかった。今でも日本の産地として三浦の人が栽培販売している。
 窄采と書くが馴染みが日本人にも少ないのでその日本での普及は横浜太堀という中華総菜を扱う業者が広めたと思う。そこから一般に出回ったのが桃屋のザ―サイで多くの量販店に並ぶようになった。それでもガチ中華と呼ばれる店舗でもザ―サイを売り物にしている店はない。

 その理由は明快で、例えると牛丼の店で紅しょうがの品質を推奨するようなものと思っている。それだけ中国においてもザ―サイと言う漬物の地位は低く、その低い漬物が貧困労働者の食の友になり、需要が普通なのに固定経費が上昇し、値上がりしている様だ。情報を集めたところ、ザ―サイの本場は四川省重慶付近で、歴史は浅い。統計の年代は判らないが年産20万トン、日本へは2万トン。今の輸送の状況は判らないが、自分が築地にいた時に特別注文でザ―サイの甕入りを注文したことがある。1甕1万円はしていなかった。甕と中身を入れて60キロは越していて、体力のない自分は甕を壊さないで動かすことをいつも心配していた。甕は後に粗大ごみとなるが大方は飲食店の店舗の宣伝的に外にご自由にお持ちくださいと言う張り紙を出しておくと植木鉢代わりにいつの間に消える。甕は15キロを超えている。酔ったお客が店主に断り、タクシ―に乗って、自宅に持ち帰り、花木の植木鉢代わりになったのだろう。自分も得意先にそのようなことを言って、築地にザ―サイの甕を持ち帰ることを嫌った。東京は業務用のごみは有料で築地市場でブラウン管テレビを廃棄する時に、中央区民なら粗大ごみの出す仕組みがあったが築地市場では粗大ごみの仕組みがなかった。市場に買い出し人も不法に粗大ごみを持ち込んで捨てる事例が多々あった。そんなザ―サイの甕も今でも中国で使用されていて、それゆえ需要が増えても急拡大できない漬物でもある。これが普通なら値上げという理由になるが食の保守性で需要は重慶だけの様だ。中国において日本以下の漬物評価で各地の評価も貧民の副食物か腹を膨らます食品となっている。
 そんな時に電子窄采という言葉を知った。日本ならテレビを見ながら口を動かす時に食べる軽食物はポテトチップスを想像できるが、今貧困となった中国の若者はテレビを見ながら、スマホを触り、ザーサイで口を動かす。どんな味付けか判らない。
 自分自身はザ―サイの漬物を知ったのは30年前位でなぜ知らなかったかと言うと、日本の食品の分類でザーサイを日本人好みに味付けたのが中華材料取り扱い業者からで手っ取り早いのが中華総菜から来ていて、総菜は日本の食品の規格で保存料が使用できないので扱うことが出来なかった。賞味期限と言うより消費期限の問題だった。

 テレビを見ながら口を動かす食品がポテトチップの前にあったはずだが今では思い出せない。スルメイカかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする