年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

福田氏の漬物好き

2007年09月15日 | 宅老のグチ
福田氏の漬物好き
今度首相になる有力候補の福田氏は業界でも知られている漬物好きでいつも話題となっている。群馬県は農業県で周囲に軽井沢・草津・伊香保・日光等の観光地を抱え漬物業が発達した。前橋・藪塚付近は練馬から移転した業者が多い。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

栗拾い

2007年09月14日 | 築地市場にて
くり拾い
築地市場青果門前に栗が散乱していた。秋の栗ひろい。市場には色々な落としの物がある。冬には雪国のたよりを市場に落とし、雪景色となる。
 落とし物が多いときは仕事が忙しくターレーのスピードが速いとき。市場休明けの日が多い。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

突然のニュースで

2007年09月13日 | 築地市場にて
突然のニュースで
辞任のニュースでまた農林水産省の人達の困惑が目に浮かぶ。また『身体検査』のやり直しと思っているのでしょう。
 夏と秋の気圧の谷間で天気も乱れ勝ちで、降ったりやんだりで日本の天気とは思えず、熱帯地方のスコールか夕立のようである。政治も時代の変化で変化が激しいのでしょうか?
 漬物と政治は縁のない世界と思っていましたが、良く歴史を調べると政治経済に左右される、弱い業界です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋田のいぶりがっこ

2007年09月12日 | 趣味としての漬物
いぶりがっこ
秋田県の燻製した大根の漬物・昔のわらぶき屋根の農家の天井に吊るした大根にいろりの煙が染み込んで独特の味になった漬物。今はいろりが消えたため特別な家を造り燻製しています。今年の夏に急に売れ出しました。どこかで記事になったと思われます。急に受注量が増えても物が物だけに増やせません。
『がっこ』とは方言で漬物のこと。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

APECが終わって

2007年09月11日 | 築地市場にて
APECが終わって
またFTAを促進するという。日本に於いてFTA促進の障害は農業と言う。
 自転車競技に於いて先頭を走る選手にに風圧がかかるので、誘導車が先頭を走り風圧を少なくする。農産物の加工では最後の段階に当たる商品は漬物で慣れない先頭を走ると苦労する。『加工食品の原産地表示』では真っ先に実施して、その影響でかなり売り上げが落ちて、逆に他の追随すべき加工食品を造る人たちを躊躇させる。まだまだ先頭を走る実力は無い。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『もったいない』のルール

2007年09月10日 | 趣味としての漬物
『もったいない』のルール
食品の再利用について、マスコミ等に糾弾されていて『もったいない』と言う考えから食品の再利用していたのが否定されつつある。造りすぎた食品や返品された食品の賞味期限の書き換えでなく、再加工も否定されている。一般化家庭で考えれば余ったご飯を炒めてチャ-ハンにすることの否定ともとれる。量販店の強大化と土日の売り上げが多い状態は安定した販売でなく生産予測が難しい。欠品を避けるためどうしても不景気が続いたので営業の力が強く製造過多となる。『白い恋人』の事件も販売予測と製造の平均化が基本にあったと思われる。稼働率の平均化は製造者の腕で、食品業の共通の悩みと言ってよい。
 許される再利用のルールが早急に決めるべきだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台風のあとで

2007年09月09日 | 築地市場にて
台風のあとで
台風の後で日本テレビの前を通ると意外な場所で木が倒れていて風が強かったという事が解った。築地市場付近の歩道はいわゆる銀座の柳の延長で風に強い。そろそろ剪定の時期であっという間に刈り込まれて柳の坊主かりとなる。電通のビル前の植木は時間が経っていて植栽は安定しているのか倒れていない。
 都心の紅葉が温暖化の影響で年々遅れて剪定が季節感となっている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

情報があるとはいえ

2007年09月08日 | 築地市場にて
情報があるとはいえ
情報があるとはいえ、台風等の自然災害で一年一回の収穫が収穫不能になる。農業はギャンブル。昔は海外野菜輸入が少なかったし、すぐに野菜の価格が高騰し、漬物が代替物として売れた。いまは飛行機等を利用してすぐ日本に海外の野菜が入ってくる。昨年実施した農薬のポジティブリストによって、契約した野菜以外を緊急輸入すると日本で禁止している農薬が検出する可能性があり、一般に野菜の安い夏が、今では海外野菜において農薬検出の可能性の高い夏が野菜価格の高騰を呼んでいる気がする。今年は中国から特に野菜の輸入が減っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台風と茄子

2007年09月07日 | 築地市場にて
台風と茄子
台風が来ています。一般に野菜の被害は雨ですが風であおられ茄子同士がこすれすれ茄子となって品不足となります。昔はこんな茄子でも漬け込んだものですが今ではスレた部分が固くなっていて包丁で切り取る必要があるので使いません。経費かかかり輸入した茄子原料を刻んだほうが安くできる。唯一の救いは味が染み込み易いので即席漬に適してます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

農林水産大臣の交代②

2007年09月06日 | 築地市場にて
農林水産大臣の交代②
 『身体検査』も身近にやってくると、役所の政治家不信もピリピリしている気がする。政治家と付き合っても売れる訳でもないし、テレビ局の手先に振りまわせられた店は一時繁盛するがやがて固定客が消え、移り気な客は次の店に移ってかんこ鳥が鳴く。政治資金の甘いルールは時効が無い。
 築地のすし屋の開店数も落ち着いて、といっても閉店する築地場外店舗が少ないので増やせないと言う面もあるが落ち着いた気がする。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

農林水産大臣の交代

2007年09月05日 | 築地市場にて
農林水産大臣の交代
今の農林水産省は霞ヶ関にあるがいっそのこと政治の場から離れて豊洲に移ってより消費者の場に近い所に視点を移してみたらどうだろうか。米の冷蔵保存所もすぐそばにあるし、品川の肉の市場もいずれ移転するだろうし、うってつけではないだろうか・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

築地市場移転攻防戦。夏の陣

2007年09月04日 | 築地市場にて
築地市場外のバイクの駐車取締り
9月3日早朝より築地市場の外周歩道上に止めてある自動二輪の駐車違反の取締。ここは買出し人や通勤の人たちが止めている。3人かかりで撤去したと言う。今までは張り紙のみ。皆点数がつかないように出頭しなかったのだろう。築地市場の移転問題は場内だけではなく場外からも攻められている。
 移転すれば広い駐車場があるという。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

江戸東京博物館にて

2007年09月03日 | 築地市場にて
江戸東京博物館にて現在江戸東京博物館にて大鉄道博覧会を開催している。その一階に100年前の東京の地図が描かれている。明治40年(1907年) 明治時代にはべったら市の開かれている日本橋本町・大伝馬町界隈は東京の交通の要の位置であることが解る。 それにしても埋め立ての凄まじさ。東海道本線は芝付近から品川駅まではどうも海上を走行していたようである。沢庵和尚の東海寺は今と違った位置に春雨庵がある。 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

馬車鉄道とべったら市

2007年09月02日 | べったら市
馬車鉄道 都史紀要三十三より
明治の文明開花の象徴は明治5年に開通した鉄道でした。そして明治16年上野駅が開業すると、新橋―上野間に馬車鉄道が開通し、大伝馬町付近の大店は復活し始めました。新聞記事にも明治15年から夷講が復活したとあります。
東京馬車鉄道会社は、明治一五年開業以来、明治三六年電車に転換するまでの約二〇年間、新橋・上野・浅草・本町通を結ぶ東京の目抜き通りで営業を続けた。
 明治時代中期は、歩くということが生活の基本であった江戸時代から、人力車・馬車・鉄道馬車の時代を経て、明治36年からの電車による本格的な都市交通時代へと転換していく過渡期であったと言うことができる。

条約改正
明治19年に起こったモリソン号事件で、日本国民は不平等条約を知り、井上馨・大隈重信らの条約改正行動を阻止します。明治20年代は極端な欧化主義の反動で商家の中で昔ながらのしきたりの夷講が商売の繁盛と共にさかんとなります。日清・日露戦争の後、不平等条約が改正となります。べったら市の記事もこの影響を受けています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パンドラの箱

2007年09月01日 | 宅老のグチ
パンドラの箱という言葉があります。ギリシア神話で、神々によって作られ人類の災いとして地上に送り込まれた女性パンドラが開けた箱である。「禍いをもたらすために触れてはいけないもの」を意味する慣用句が生まれたといいます。
 漬物の原料原産地表示は時期が早く実施した気がします。農林水産省の戦後の産地育成策に加工野菜に対する配慮が足りなく、あまりににも生食用の野菜の振興を図ったため、加工業者は原料を確保するために海外に活路を探りました。
 今原料の表示が決まって既に国内で製造するより海外で製造する(主として中国)方が安く出来るので皆で向かいました。しかし、中国でも人件費等が上がり次第に安価に造ることが出来なくなり、更に為替が元高になる今製品の値上げを検討しています。
 原料原産地の表示の実施によって、漬物単価の下落と消費の落ち込みの酷さは、他の食品業界の人々の追随をためらわせています。原料原産地表示と言うことは『パンドラの箱』だったかもしれません
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする