明治42年11月17日東京朝日新聞
甘精(サッカリン)入醤油の処分
大阪府及び兵庫の警察部にて押収した甘精(サッカリン)入りの日本醤油醸造約一万石の処分に付き両府県とも内務省に指令伺い中であると既記の通りなるが同省において他の純品と混合して販売を許すとなれば身体に害を及ぼすようなこともないといえども飲食物取締規則・人工甘味質取締規則を無視することになり、今後の取締に一層の困難を生ずべく、さりとて全部廃棄を命じると国家経済上の損失となる等の議論まちまちとなり直ぐに結論が出なかった。科学上サッカリンを分解する方法はあるだろうか、その方法があっても行なわれ難く結局は廃棄の外に道ないという説が最も多数を占めている。
明治42年11月18日東京朝日新聞
不正醤油処分は如何
その筋に中毒者なきか
日本醤油醸造の不正醤油は大阪府における約450石、兵庫県における約1万石の他に岩手県においても約400石の発見があり、同社がこの不正醸造関係はよほど注意深い計画のもとに行われたるものの如く、かのサッカリン(輸入)課税問題の出ると約百万円近くの見込み輸入決行し現在なお当該品(サッカリン)を多数貯蔵しているならばこの不正醤油は上記一府二県に限らず、おそらくはその販路とともに各府県にわたり、発見することは難しいことではない。むしろ東京においてその発見がないことが不思議でならない。ことにその罪悪はサッカリンの甘味を付与することに止まらず防腐剤としてホルマリン含有の疑いありというに至ったのは食料品衛生上近来に無き大事件である。
サッカリンの関税
明治39年11月1日よりサッカリンの輸入関税が斤15銭から60円となったので、これを見越して輸入が急増した。
東京読売新聞データベースより1斤は約600G 関税が400倍となった。これでは砂糖の代わりにサッカリンを使う必要性が薄れる。
サッカリンの密輸が増加しているとの報道。
明治41年12月24日 東京読売新聞
ウヤムヤなる内務省
大阪府は処分に関し内務省の省内会議の結果を待って16日大阪府宛形式的な通達を発した。しかも、その要旨はすこぶるあいまいなもので単に危害なき範囲に於いて相当処分をなすべきという。さらに兵庫県の処分に於いては更に石数の多さだけでなく安東防疫事務官が高知市にペスト視察に出張の途中に立ち寄り本省の内意を県当局者に伝達することになるようだがその内意なるものが結局上記の通達と同じものにてこれに付加して意見を述べるに過ぎず、即ち省内にては軟風吹きすさみ公衆衛生上の影響を無視してサッカリン検出の操作と同時にエーテルを混入してこれを検出しないようにするか若しくは他の純良なる醤油と混合し試験上サッカリンの痕跡なき程度までに希薄して販売を許すべしとの論があった。塚本参事官が強硬な立法の精神より決してこれを看過すべきでないと内務省指令までもなく規則を励行して廃棄すべきが当然である。ことに良品との混合の結果、試験上これを検出することが出来ないといっても事実はサッカリン混合であるので当局者としてこれを許すべきに非ずと論じていた。何故かついにウヤムヤに右の指令を与えたものに至ったもので尚その文中にては当事者と云々の文字さえあったという至っては甚だ怪しいことである。
輸出計画
聞くところによると山根正次氏は当該醤油の処分に関し会社側となり内務省当局者を説得するにサッカリン取締規則の制定する当時の中央衛生会議における説明その他を見ると立法の精神は直接身体に危害を及ぼすというにあらずして砂糖消費税の関係上必要であったのをもって必ずしも廃棄を命ずるにも及ばざるべくと同時にその処分としてこれを満漢地方に輸出せば会社のみならず国家もまた損失をまぬがれるとして、黙認を得ようとして目下運動中ということだ。しかし満漢といえども需要者はわが同胞ばかりでなくすでに不良品であることが知れ渡ると将来他の純良品までも悪影響をきたす懸念あればこの成り行きには注目すべし。
満漢とは今の中国東北部のこと。すでに日本産醤油の中国人へ売込みが始まっていた。
明治42年11月19日大阪朝日新聞
▲希薄処分で済ます意向
昨紙東京電話により日本醤油の処分に対する内務省の方針は結局危害無き程度に於いて相当処分を命ずることに決定。その旨大阪兵庫の両府県知事に向かって通知したる旨記載して於いたが18日安東防疫事務官が神戸及び高知へペスト予防の用件にて出張の途、大阪警察本部に立ち寄り、内務省における意見が右の如く決定したる詳細を伝えし模様であるが何分結末が結末であるので府当局者は「安東防疫官は所管外の事なれば一向取り止めたる意見も無かった」云々と綺麗に逃げ内務省への思惑をはばかり、明白なる答えをなさず、されど実際は希薄して販売を許すというに相違ない。当局者の一部には内務省の腰の弱さ憤慨し、今後飲食物の取締は到底理想通りにはいかぬとつぶやいていた。中にこれを解説するものが例え希薄にして販売を許すにしても甘精(サッカリン)が検出せぬ程度まで希薄にせんとすれば純良品十石にサッカリン入り醤油一石より混ぜることできず、会社が押収品は一万石以上あるので今後十万石以上の純良なる醤油を製造する事が出来るのだろうかどうか云々と。かくて喧しかった醤油事件は愈々竜頭蛇尾に終わろうとする。
このような記事を書いたところ神戸より電報があり、安東防疫事務官は元町旅館に休憩中訪問した記者に向かって「法文上は醤油事件の処分は地方長官に一任しているので中央政府は軽々しく干渉せざる方針である。同社は宜しく自ら公衆に危害を与えぬ方法を講ずべく地方長官はその方法を講ずるや否やを待ってしかる後処分するを穏当と思う。不正であるからといって疾風迅雷の如く急拠に処分すれば法の精神に反するだけでなく、また極めて不親切な行為と信じていて何しろ今回の事件は犬が犬糞にぶつかった感がある」云々とかっかと大笑いして語った。
明治42年11月25日大阪朝日新聞
○ 飲食物と衛生
▲ 本年一月以来の検査
近頃科学の進歩につれ天然の産物でなく種々なる化合物を配して食う物飲む物を造るようになった。飲食物には滋養を目的にする物と嗜好を目的にするものとの別があるから一概に言うことは出来ないが、例え嗜好を目的に物でも滋養分がないよりは少しでも含んでいたほうがよいということは今更言うことではない。然るに人工化合物の使用がさかんとなるに連れて只その形なり色なり味なりを天然産物に真似るというにすぎない物が多くなった。それも只滋養分がないだけならまだしもだが中には人体にとんでもない害を与えるものがある。これを取り締まるためその筋にて(警察のこと)は絶えず専門の人を派して『有害性着色料』『飲食物器具』『人工甘味質』『清涼飲料水』『氷雪』『飲食物防腐剤』等の検査をやっているが西洋などのように商売人の道徳が発達して居らぬと、需要者の知識が進歩しないので容易に改善しない。試みに府下の本年一月より十月までのこれらの物の検査した統計を調べてみると総件数8794件、人体に危害のある規則に抵触した物と認められて廃棄若しくは改造を命じられた物946件、すなわち総件数の一割がよからぬ物ということになる。中でも例の使用を禁止されている鉛を使った飲食物容器は検査件数の4割を占めている。只割合によくなったのは子供のおもちゃの着色料でこれは案外有害着色料を使っていない。サッカリンを使っているのが多いと思われる菓子類は比較的少なく百中の二(2%)くらいに過ぎないが野菜果実類の製品(缶詰・ジャムの類)には百中六(6%)くらい使っている。清涼飲料水ではラムネが一番成績が悪く第一原料水の選択が悪くしているのが多い。氷は人造が盛んになって今年の検査では一つも出なかった。それから防腐剤を適量以上使用しているのはもちろん清酒で約二割七分はいけないものであったという。とにかく飲食物の取締はいつまでも緩めることは出来ない。
明治末期の食品の取締の状況で今とは時代が違って内容が異なる。明治時代の基本的考えの中に『富国強兵』があって,身体に害があったり栄養を与えない食品は嫌われた。
甘精(サッカリン)入醤油の処分
大阪府及び兵庫の警察部にて押収した甘精(サッカリン)入りの日本醤油醸造約一万石の処分に付き両府県とも内務省に指令伺い中であると既記の通りなるが同省において他の純品と混合して販売を許すとなれば身体に害を及ぼすようなこともないといえども飲食物取締規則・人工甘味質取締規則を無視することになり、今後の取締に一層の困難を生ずべく、さりとて全部廃棄を命じると国家経済上の損失となる等の議論まちまちとなり直ぐに結論が出なかった。科学上サッカリンを分解する方法はあるだろうか、その方法があっても行なわれ難く結局は廃棄の外に道ないという説が最も多数を占めている。
明治42年11月18日東京朝日新聞
不正醤油処分は如何
その筋に中毒者なきか
日本醤油醸造の不正醤油は大阪府における約450石、兵庫県における約1万石の他に岩手県においても約400石の発見があり、同社がこの不正醸造関係はよほど注意深い計画のもとに行われたるものの如く、かのサッカリン(輸入)課税問題の出ると約百万円近くの見込み輸入決行し現在なお当該品(サッカリン)を多数貯蔵しているならばこの不正醤油は上記一府二県に限らず、おそらくはその販路とともに各府県にわたり、発見することは難しいことではない。むしろ東京においてその発見がないことが不思議でならない。ことにその罪悪はサッカリンの甘味を付与することに止まらず防腐剤としてホルマリン含有の疑いありというに至ったのは食料品衛生上近来に無き大事件である。
サッカリンの関税
明治39年11月1日よりサッカリンの輸入関税が斤15銭から60円となったので、これを見越して輸入が急増した。
東京読売新聞データベースより1斤は約600G 関税が400倍となった。これでは砂糖の代わりにサッカリンを使う必要性が薄れる。
サッカリンの密輸が増加しているとの報道。
明治41年12月24日 東京読売新聞
ウヤムヤなる内務省
大阪府は処分に関し内務省の省内会議の結果を待って16日大阪府宛形式的な通達を発した。しかも、その要旨はすこぶるあいまいなもので単に危害なき範囲に於いて相当処分をなすべきという。さらに兵庫県の処分に於いては更に石数の多さだけでなく安東防疫事務官が高知市にペスト視察に出張の途中に立ち寄り本省の内意を県当局者に伝達することになるようだがその内意なるものが結局上記の通達と同じものにてこれに付加して意見を述べるに過ぎず、即ち省内にては軟風吹きすさみ公衆衛生上の影響を無視してサッカリン検出の操作と同時にエーテルを混入してこれを検出しないようにするか若しくは他の純良なる醤油と混合し試験上サッカリンの痕跡なき程度までに希薄して販売を許すべしとの論があった。塚本参事官が強硬な立法の精神より決してこれを看過すべきでないと内務省指令までもなく規則を励行して廃棄すべきが当然である。ことに良品との混合の結果、試験上これを検出することが出来ないといっても事実はサッカリン混合であるので当局者としてこれを許すべきに非ずと論じていた。何故かついにウヤムヤに右の指令を与えたものに至ったもので尚その文中にては当事者と云々の文字さえあったという至っては甚だ怪しいことである。
輸出計画
聞くところによると山根正次氏は当該醤油の処分に関し会社側となり内務省当局者を説得するにサッカリン取締規則の制定する当時の中央衛生会議における説明その他を見ると立法の精神は直接身体に危害を及ぼすというにあらずして砂糖消費税の関係上必要であったのをもって必ずしも廃棄を命ずるにも及ばざるべくと同時にその処分としてこれを満漢地方に輸出せば会社のみならず国家もまた損失をまぬがれるとして、黙認を得ようとして目下運動中ということだ。しかし満漢といえども需要者はわが同胞ばかりでなくすでに不良品であることが知れ渡ると将来他の純良品までも悪影響をきたす懸念あればこの成り行きには注目すべし。
満漢とは今の中国東北部のこと。すでに日本産醤油の中国人へ売込みが始まっていた。
明治42年11月19日大阪朝日新聞
▲希薄処分で済ます意向
昨紙東京電話により日本醤油の処分に対する内務省の方針は結局危害無き程度に於いて相当処分を命ずることに決定。その旨大阪兵庫の両府県知事に向かって通知したる旨記載して於いたが18日安東防疫事務官が神戸及び高知へペスト予防の用件にて出張の途、大阪警察本部に立ち寄り、内務省における意見が右の如く決定したる詳細を伝えし模様であるが何分結末が結末であるので府当局者は「安東防疫官は所管外の事なれば一向取り止めたる意見も無かった」云々と綺麗に逃げ内務省への思惑をはばかり、明白なる答えをなさず、されど実際は希薄して販売を許すというに相違ない。当局者の一部には内務省の腰の弱さ憤慨し、今後飲食物の取締は到底理想通りにはいかぬとつぶやいていた。中にこれを解説するものが例え希薄にして販売を許すにしても甘精(サッカリン)が検出せぬ程度まで希薄にせんとすれば純良品十石にサッカリン入り醤油一石より混ぜることできず、会社が押収品は一万石以上あるので今後十万石以上の純良なる醤油を製造する事が出来るのだろうかどうか云々と。かくて喧しかった醤油事件は愈々竜頭蛇尾に終わろうとする。
このような記事を書いたところ神戸より電報があり、安東防疫事務官は元町旅館に休憩中訪問した記者に向かって「法文上は醤油事件の処分は地方長官に一任しているので中央政府は軽々しく干渉せざる方針である。同社は宜しく自ら公衆に危害を与えぬ方法を講ずべく地方長官はその方法を講ずるや否やを待ってしかる後処分するを穏当と思う。不正であるからといって疾風迅雷の如く急拠に処分すれば法の精神に反するだけでなく、また極めて不親切な行為と信じていて何しろ今回の事件は犬が犬糞にぶつかった感がある」云々とかっかと大笑いして語った。
明治42年11月25日大阪朝日新聞
○ 飲食物と衛生
▲ 本年一月以来の検査
近頃科学の進歩につれ天然の産物でなく種々なる化合物を配して食う物飲む物を造るようになった。飲食物には滋養を目的にする物と嗜好を目的にするものとの別があるから一概に言うことは出来ないが、例え嗜好を目的に物でも滋養分がないよりは少しでも含んでいたほうがよいということは今更言うことではない。然るに人工化合物の使用がさかんとなるに連れて只その形なり色なり味なりを天然産物に真似るというにすぎない物が多くなった。それも只滋養分がないだけならまだしもだが中には人体にとんでもない害を与えるものがある。これを取り締まるためその筋にて(警察のこと)は絶えず専門の人を派して『有害性着色料』『飲食物器具』『人工甘味質』『清涼飲料水』『氷雪』『飲食物防腐剤』等の検査をやっているが西洋などのように商売人の道徳が発達して居らぬと、需要者の知識が進歩しないので容易に改善しない。試みに府下の本年一月より十月までのこれらの物の検査した統計を調べてみると総件数8794件、人体に危害のある規則に抵触した物と認められて廃棄若しくは改造を命じられた物946件、すなわち総件数の一割がよからぬ物ということになる。中でも例の使用を禁止されている鉛を使った飲食物容器は検査件数の4割を占めている。只割合によくなったのは子供のおもちゃの着色料でこれは案外有害着色料を使っていない。サッカリンを使っているのが多いと思われる菓子類は比較的少なく百中の二(2%)くらいに過ぎないが野菜果実類の製品(缶詰・ジャムの類)には百中六(6%)くらい使っている。清涼飲料水ではラムネが一番成績が悪く第一原料水の選択が悪くしているのが多い。氷は人造が盛んになって今年の検査では一つも出なかった。それから防腐剤を適量以上使用しているのはもちろん清酒で約二割七分はいけないものであったという。とにかく飲食物の取締はいつまでも緩めることは出来ない。
明治末期の食品の取締の状況で今とは時代が違って内容が異なる。明治時代の基本的考えの中に『富国強兵』があって,身体に害があったり栄養を与えない食品は嫌われた。