年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

市場前駅

2014年06月15日 | 築地市場にて

 

土曜日の日本経済新聞夕刊でゆりかもめ[市場前]駅の記事があった。一日の乗降客の人数が100人を下回るようで、過疎地並みである。築地市場が豊洲へ移転しても駅名は変えないという。経費がかかるし、周知するにも手間がかかる。工事現場だから、日々風景が変わるが基礎工事が終わり、鉄骨の組み立てが始まると移転の気分が出るかもしれない。なにしろここまで来るのに時間がかかり過ぎ、現物が出現するまで信じられない。

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景況感の問い合わせ

2014年06月14日 | 築地市場にて

 消費税が上がってこの頃外部からの景況感の問い合わせが多い。忙しいので数字の持ち合わせがないので適当に応えるしかない。会社情報の問い合わせの会社が築地市場の豊洲移転のことを知らないことを驚いた。世間ではまだ築地市場が移転しないと思っているのだろうか。築地市場が移転しないと、特に青果部を移転しないと環状2号線が出来ないこととなり、オリンピック開催公約に違反となる。

 政府では農業振興策を色々考えているようだが絵に描いた餅のようで日々農産物特産品を扱っている身から役立つ予算が出るのだろうか。票集めのばら撒き税金となる気がする。農産品のブランド化には時間と人の力と地域の後押しが必要となる。

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結露

2014年06月13日 | 築地市場にて

 

梅雨ということで冷蔵していた商品を一度でも常温のところに出すと水分をダンボ-ルが吸い取って、軟弱となり倒壊することもある。商品にも水分が結露で付いていてこの時期は難しい。梅雨の時期は何時も同じ問題が生じて対策はあるのだがコストがかかるし、梅雨の晴れ間には現象も起こらず無事過ごすこととなる。29度を予報している天気は結露をもたらすのか。

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休市日に

2014年06月12日 | 築地市場にて

 

休市日にテレビを朝から眺めていたら、漬物[キュ-ちゃん]の工場が出てきた。映像として出る漬物工場と古臭いイメ-ジを出したいテレビ関係者との編集を見たようだ。今の漬物工場は自動計量器の発達でほとんど機械化されていて、古いイメ-ジの所のは工場見学でも見当たらない。ただ味が一定化するので発酵食品として面白みが欠けるかも知れない。味の好みは当日の体調で異なる。今日も雨で塩分が必要でなさそうなのでコンビニ弁当は美味くないだろう。

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昔も今も

2014年06月11日 | 築地市場にて

唾玉集-明治諸家インタヴュー集 伊原青々園編 後藤宙外編  明治期に国事探偵という仕事があった。探偵という仕事は今の日本の仕事と異なるようだ。国事探偵の活躍した時期が明治10年代から日清戦争までと思われる。

 この国事探偵の仕事を小説にした例をあまり見かけない。明治物は西南戦争まで、国会開設まで、日清戦争までとその後に分けられる。それぞれの時代背景が異なり読者が知識がないと理解できないし。まずいことに時代考証が難しい。

 明治5年に鉄道が開通したが日本各地に建設され開通した時期がまちまちで発展衰亡も時期が一定しない。鉄道が開通しても水運とか昔の交通網に関わる町が衰退するまで時間がかかる。

 東京だって日本の中心となっているが交通費の低下と通関の煩わしさを少なくなればネットの時代はリゾ-トで仕事が出来る。まして新しい病気の広まりが大規模なオフイスであればあるほど事務処理一極集中は危険である。

 幕末から明治期に流行したコレラはエジプトから帆船で世界に蔓延したが。各地の港によってから日本に来るので、コレラ患者は日本に来るまで死亡しているか治癒していた。それが蒸気船で海運が動くようになるとコレラ病の潜伏期間の内に日本にやってきて大騒動を起こしている。日本橋魚河岸がコレラのために休業したのも明治の10年代後半である。

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蒸し暑い

2014年06月10日 | 築地市場にて

休市前の築地は蒸し暑い。今月は毎週水曜日が市場休となる。このようなカレンダ-になって、数年たつ。配送業者が暇なようでいつもの時間より早めにやってきて対応に追われる。

こんな時のトラブルで困ったもんだ。

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築地のスタンバイ機能の電源

2014年06月09日 | 築地市場にて

築地市場内に待機している冷凍冷蔵車のための電源が何箇所かあるが何処だかわからない。今スタンバイ機能の電源車で休市前には荷物を積み込んで電源を差込、温度を10度以下にしている。このようなやり方をしているところは築地市場では少ないようだ。先日の炎天下の下でアイドリングして冷凍機を動かしている車が多かった。豊洲はこの設備があるのだろうか。
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豚屋火事2

2014年06月08日 | 築地市場にて

横浜の豚屋火事は外国人の住んでいた居留地の火事でもあったので記録もある。
 日本人被災者が不幸な火災にめげず生きている記録がある。今度の震災でも同様な観察をした外国報道があったようだ。ただ当時の被災住民は借家の人が多いので命があれば復興仕事で生活できることを経験で知っていたと思われる。江戸は数年おきに大火災があって、クヨクヨしていったら幾つ命があっても足りない。
豚屋火事も借金で居留地に不動産を持っていた人には痛かっただろう。当時は火災保険というものが日本にはなかったようだ。保険という考えが海外留学生からもたらされるのもう少し後の時代で、海上保険から始まった気がする。もう一回東京海上火災の社史を読まねばならないようだ。
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豚屋火事

2014年06月07日 | 築地市場にて

長谷川伸全集12巻の横浜白話を読んでいたら、講談天保水滸伝の成立話が豚屋火事のところから始まっていた。
 横浜豚屋火事(慶応2年)は開港後の火事で講談天保水滸伝の初演(弘化年間)の方が早いのでどんなことを書いてあるか逆に気にして読み進んだ。天保水滸伝の講談が今と同じような筋書きとなったのが明治になってからという。長谷川伸氏の考証によると、豚屋火事は鉄五郎のところではないという。この火事によって今の横浜関内地区が整備され、横浜公園が出来たという。
 
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越し方は悲しくものの記録

2014年06月06日 | 福神漬
ある市井の徒 長谷川伸著
越し方は悲しくもの記録
この長谷川伸の自伝随筆の最初に天田愚庵の『東海遊侠伝』別名次郎長伝を作り、その本の広告欄に、明治戊辰磐城の戦乱に行方知らずとなった父母と妹を捜し求めて既に十数年、知る人あらば教えてよと広告文を掲げたのが明治17年という。51歳で世を去った天田愚庵の父母と妹は戦乱に乗じた盗賊で殺されてしまっていた。
 明治17年上野高崎間の鉄道施設が竣工し、民間の鉄道営業が成り立った年。加波山事件という暴動があったのもこの年だった。
 こんな書き出しから始まる本は不思議な感動を得た本だった。明治政府は自由民権運動を弾圧するため、彼らを武力で支援している博徒を集中的に捕縛した。その中に清水次郎長がいた。次郎長の釈放運動には自由民権運動が関連している。と同時に静岡事件というのもあった。
 長谷川伸の小説随筆には福神漬の歴史に重なるところが目立つ。何処から資料を得たのだろうか。
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梅雨で

2014年06月05日 | 福神漬
長谷川伸全集 第12巻 長谷川伸〔著〕470頁0
雨で出る気もなく、長谷川伸の本を読み始めた。五反田から白金の坂を上ると、仙台藩菩提所の寿昌寺という寺があるという文章に出会った。その寺に後の仙台藩足軽の子高橋是清が奉公していたという。寺に奉公していると抜擢される機会にめぐり合えることがあるからという。この寿昌寺の隣の本立寺に福神漬の語り部である鶯亭金升の墓がある。 何かあるのだろうか。少し調べねばならないかもしれない。
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農産加工は難しいのだ

2014年06月04日 | 宅老のグチ
農産加工は難しいのだ
漬物も農産加工品の一種だが作るより販売の方がむずかしい。多くの農産加工産業は作ることに重点を置いているが販売の仕方を書いている書物が少ない。
 缶詰の歴史を見ていると軍隊用で発展した食品ということが理解できる。コストを下げる競争から製缶技術が発展し、缶の良品率の向上から食品の保存安定性が増し、産業として発展したようだ。そこから食品として味の追求が次の段階として要求されたようだ。
 福神漬は水分活性の問題で明治期の粗末な缶でも何とか商品となったようだ。
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関東大震災時の見舞い品

2014年06月03日 | 福神漬

今缶詰の歴史を見直しているが、資料の中に関東大震災の後、関西の広告で見舞い品の中に缶詰があった。牛肉大和煮と福神漬が同価格で販売されていた。今ではとても信じられない。
 日本で一般人に缶詰が普及したのが関東大震災であるという。それまで軍隊食として缶詰が普及していたが何処となく缶詰が嫌われていたようだ。いわゆる『食わず嫌い』で関東大震災で仕方なく保存食である缶詰を食することなり、日本人に缶詰が浸透したという
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缶詰本

2014年06月02日 | 宅老のグチ

調べ始めてかなりの時間がたっているので、最新の本を検索し読んでみようと思いついた。やはり缶詰からゆくのが良いだろうと考え、今月は缶詰本を借りまくる。
 簡単な本は小学生向けの本が良い。実にわかりやすい。それにしても漬物のところでカレ-ライスに福神漬が付いて出たのは昭和の阪急百貨店という。どこに資料があるのだろうか。『ゾクゾク「モノ」の歴史事典 3食べ物』ゆまに書房
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梅干し日

2014年06月01日 | 築地市場にて

日本の何処かで35度を超えそうな6月1日。長期予報では冷夏ということで早めの猛暑は梅干業者にとっては良い気候と言える。メリハリのついた天候は気分を変える。暑い。
中国産のキムチが大幅な値上げで対応するようだが日本の消費者がついてくるのだろうか。デフレが終わりそうだがまだ販売している人達の自信が無いようでまだ低価格を追いかけているようだ。そのうち人手不足で営業時間短縮ということになりかねない。すでに建築工事費の高騰で店舗展開が遅れているようだ。
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