年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

大中小の今風の解釈

2024年02月14日 | 宅老のグチ
叔父の特攻に応募する過程の情報を得るため、戦前の昭和18年頃の新聞縮刷本を図書館で読んでいた。今は過去の歴史の結果.過程を知っているので、当時はどの様な報道をしていて、叔父たちがなぜ応募したかそれとも強制的・自発的・仲間意識とかの様子が判らなかった。
 アメリカでも今の分析で太平洋戦争の情報隠しをしていた。日本はミッドウエ-海戦後に敗色が濃くなっているにもかかわらず、精神力で勝つという報道が気になる。
 今の日経平均株価が38000円近くなって、バブル時の最高値に34年ぶりに迫ってきた。今年の年明けの報道ではとても今の時期にこんな株価になるとはだれも記事として本気度が見えなかった。今でも経済評論家で4万円を超すには4月以降という。
 今の経済報道の大本営はアメリカにあって、経済戦線の拡大より、いきなりの終戦を恐れている気がする。多くの人は戦争を早く終わらせようとしているが、死の商人の仕事を見ていると、長引いたほうが良いと思っていることが多い。
 もしウクライナがロシアに勝って、ロシアが小国連合となり(合衆国)、戦後の日本の様に一定期間国連統治となる気がする。その賠償は原油等の利権だろう。ソ連時代のウクライナは兵器生産工場集積地だった。
 小本営の日本は日米安保条約の運用を詳しく調べるとまだ空域に関してアメリカの統治下にある。それは首都の航空管制の中心を横田と厚木が優先権がある。従って羽田の衝突事故も良く調べると、無理な航空管制のため、事故が起きた。この件は国防の問題で政府は深く関与できないし、野党でも米軍が消えると、覇権中国の言いなりを恐れているから追求できない。この件を追及している論陣は中国に洗脳されるか利権が中国にある人しかいない。
 中本営と比喩すると強権中国はしきりに経済が良いと、バブル後の日本の様に株価対策して価格の維持をしている。その様な相撲の維持員制度の様に仲間内の論理で不祥事隠ししても、時間という制御できないもので状況が判ってくる。2月14日は中国の春節休みの上海株式市場の取引再開日で、今日は株価が上昇すると思うが、中国の投資家は売り時と見て、資金を海外工場に移転する資金をどう確保するのだろうか。また貧困農民層が春節時に、都市の状況の情報交換をしていて、Uターンでなく、Jタ-ンとか春秋戦国時代に様に流民になるのだろうか。この点でミャンマ-情勢は気になる。昔は麻薬だったがいまは 詐欺師の拠点となっている。そんなところが激安の紅しょうがの生産地で、焼き畑農業もある。それゆえ中国の空気汚染は石炭発電だが東南アジアの空気汚染は焼き畑農業である。これは制御しにくい。
 漬物業者は反社の人と海外では付き合うことになる。そんな苦労は無料の紅しょうがを食べている人には判らないだろう。安さには不正もある。無料配送によって生活が苦しい人もある。人が無料で働くことは無理がある。
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暇つぶしの100円ショップ

2024年02月13日 | 宅老のグチ
冬も終わりそうで、くたびれたセ-タ-を見ていたら、毛玉がびっしり目に付いた。確か毛玉取りといういう商品があったの思い出し、検索すると100円ショップにあるようだ。早速近所の100円ショップに行くと終売という。
東京は少し歩けばいくらでも100円ショップがある。そこで知っている次の店で店員に聞くとあった。ついでに老柴犬の毛を取る携帯の汚れ取りも購入。計220円。大型店なら妄想を働かして、植木売場の育苗ポット用のプラを築地で配送先宛名シ-ル入れにした。100円ショップは工夫の構想を考える場。失敗しても損失は110円。
 本日の気温のメ―ルが来て、17度という。この温度なら分速80Mの不動産屋速度では汗が出そうだ。
  休日明けの火曜日は神社仏閣をのぞいて休みが多い。そこで行き先の事を考える日とするが今日の気温で自宅蟄居は寂しい。そこでいつもはいかないブックオフか釣具屋、そして車専門店。

 なんでも20年経てば結果が解かる。今の天気予報の逆さ言葉で、天気予報は天気予想といわれてい時があった。予想は逆さに読むとウソヨとなる。経済の見込みの予想はウソヨとなるのは10年もいらない。
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眠れない夜の雑念

2024年02月12日 | 宅老のグチ
2月の3連休。リタイアした身は毎日連休中・たまの病院での点検が外出義務感のある予定。それでも体の点検で薬の処方箋をもらうだけ。漢方薬なので効果が見えない。
 こんなくだらない雑念が眠れない夜の暇つぶしとなる。なぜ眠れないかと考えると原因は一つある。歩かないので疲れない。なぜ歩かないのかというと連休で混んでいて、感染病が流行っていてマスク姿が多いので外出をためらう。特に平日昼間は異国人しか普通は電車内には存在しない。彼らはほぼ全員マスクはない。その様な言い訳で連休は自宅蟄居を選択する。そうすると昼寝が出来る。宅配の来ない午後はテレビもないので、うたた寝となる。そこで寝ると夜が眠れない。この経験は病院で実験済となる。昼に寝なければ夜は眠れる。

 雑念も自宅蟄居がコロナで長く、考えるテ-マが日々変わり、ネットに愚痴を書かないと、昔の年寄りの愚痴となって(昔は良かった)ということになる。当然の様に聞かされる人は存在していないので、反論が出来ないし、当時の状況の知るすべは新聞しかない。その新聞でも偏っていて真実とは言えないことを知っている。昭和18年の叔父の特攻1期生募集要項でも死に至る募集とは出ていない。戦時の情報統制は日本に不都合な記事は書けなかった。
 今の中国の報道では不景気という報道は書けない。春節の移動人数を90億人と言い、このデ―タの根拠を良く調べると、前年の基準と変えているようだ。この90億人という数字を日本の新聞社が中国ヨイショ派の所はまだまだ14億人と言い、否定派は人口が少し減ったと騒ぎ、2030年には14億人を割るという悲観論を出す。中国政府はしきりに株価を維持しようとしているが日本のバブル崩壊後の最安値は高値の20%の水準でそこまで日本政府の株価維持策の効果なく20年の年月がかかった。その後に日本の株価がようやく37000円まで戻った。それでも15年経つ。毎年これから日本の人口は80から100万人減る。そこからのんびり日本に移住する人が増える。このせめぎあいを語る識者はまだテレビの論客に現れない。まだヘイト言論騒動が続いていて、現実の世界に後期高齢者だらけの世が見えないのだろう。そして介護人材が異国人によって任される。築地のバブル期には日本人は高齢者と経営者で現場の主力は外国人だった。今は日本人でまかなわれているが若手は不規則な市場休日で増えない。

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逆さ福・倒福 福が来るというおまじない

2024年02月11日 | 宅老のグチ
今は春節で中華街のドアのようなところに逆さ福・倒福という赤い字の福が見える。漢字の福がどうして逆さまなのか疑問に思っていたが、中国が下り坂になってきて逆さ福も斜めに見える。斜陽から斜福。
 文字の国なので逆さに貼った福の由来話が複数あって、そのすべては権力者から叱責を受けたが、逆さの福の言い訳が絶妙で叱責が取り消され、褒美を受けたという。
 今の中国の経済的話題は春節前の上海株の急な上昇で、政府の必至な宣伝で一応落ち着いている。この強さは春節明けの香港相場の様子で判断するしかない。欧米の投資家たちは上がれば売り時として待っているに違いない。同様に中国国内の人達は不安な中国株を売って、どこかに投資するだろう。
 
 倒福の前に傾く福もありそうだ。今年は辰年で青龍の絵が良く出回っている。だがすぐに竜頭蛇尾という言葉が待っていて、勢いの良いのが初めで終わりは尻つぼみ。蛇のしっぽのような先細り。
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渋沢栄一・津田梅子・北里柴三郎に会いに行く 貨幣博物館

2024年02月10日 | 宅老のグチ
中央区日本橋本石町日本銀行の隣の貨幣博物館へ行きました。34年ぶりの株高の日に日本金融の元締めを表敬訪問しました。知識としてお金はその政治の信任の印と貨幣博物館で実感しました。敗戦後に新円交換後の紙幣は今でも使うことが出来そうです。戦前の紙幣は一応無価値で骨董品の様でした。
 日本橋本石町の地は江戸時代の金座として存在していて、にわかに信じがたい。都営浅草線日本橋駅で降りて、普通はコレド日本橋の方に行くのだが首都高速の日本橋の部分が工事中でその様子を見ながら、道路の起点である日本橋を渡り、三越の脇を通り、貨幣博物館へ行く。無料だが一応荷物検査と館内の規則の説明、主に写真撮影の様で見学後にどこが写真撮影すると不都合があるのだろうかと疑問を持った。多分紙幣に関しての技術漏洩の所かもしれない。しかし印刷した紙幣を堂々と増やしているのは日本しか思いつかない。話題となっている中国は異国人が中国でスマホ登録と中国で使える支払い手段が無いと、何も出来ないようだ。それでも汚職事件で見つかるのは紙幣と貴金属のようだ。紙幣はいつ使うのだろうか。
 日本史で和同開珎を習ったが、一時中国の宋銭が日本の貨幣経済の時代があったことを知る。日本の運の良い事は、国内で金銀銅の鉱山の発見と金属化の技術導入があったことだろう。江戸時代は鉱山の産出が減り、本格的に鎖国経済となった様子が解かる。この時のトラウマが輸出が善で、輸入が悪という印象教育の始まりかもしれない。
 そして幕末の不平等条約の金と銀のレ-トの差による物価高。これがどう収まったかという説明が今まで判らなかったが、日本の金小判の改鋳で金の含有量を減らし、外国のレ-トと同じようにしていたという。この対策を進言した人の名は知れない。しかし金小判の改鋳は物価高になる。
 予備知識なく行ったので、もう少し政治の信任と価値の問題を知りたい。日本の株高は西欧の株取引者から見ると、中国から資金を引き揚げ、日本に暫定投資のように見える。この滞在は短いと感じる。
 貨幣博物館を出て、呉服橋の高速道路入り口が消えていた。首都高速日本橋付近の工事は2035年に地下化が終わり、撤去工事が2040年終了と言う。多分見ることは出来ないだろう。生きてはいまい。
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梅西之乱―香港のニュ-スで

2024年02月09日 | 宅老のグチ
梅西之乱という文字が見えた。梅の花を求めて散歩中なので梅西に反応する。これは香港でサッカ-の試合で梅西という選手が出場しないことから来ている。香港の試合は梅西選手を見るための、多くの観客が来ていたが裏切ったようである。梅西選手ほ日本のカタカナで表すとメッシ選手で日本風の漢字変換とすると滅私となる。詳しく調べると香港の人達のいら立ちは過去のメッシ選手への香港滞在時の振る舞いと日本滞在時の振る舞いの差からきている。多くの日本滞在時の諸国有名人はホテルから警護の人達の助けを借りないで日本を歩ける。井の中の蛙の日本人は外国で有名であっても日本では普通の人となる。そこが気持ちが良いようだ。
 つまり日本のスキャンダルニュ-スの仕事をしている人は英語圏の需要を知らない。その点では英語圏の一つとなっている香港の人達は情報通で、有名人をホテルに閉じ込める。
 落ちるナイフをつかむには訓練がいる。日本は経済不振で30年以上かかった。今の中国・香港はまだ落ちるナイフをつかむ訓練はしていない。もう加速度がついているナイフは誰も見ているだけ。中国)内府の人達は小日本の経験を無視したようだ。中も小も落ちるナイフは制御しにくい。文献では柳生流の真剣白刃取りしか読んだことが無い。経済落下は加速度がつき、小手先の対策は普通は失敗し、さらに底値の投資欲を出す人の意欲を消す。株の底値を買う人は運の良い人でそれは後世の人が知る。

 梅の開花が異常に早い。東京の梅の見どころは間も無く満開となる。年取って嗅覚が落ちていることを梅の香りで知る。
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皇居東御苑で梅見

2024年02月08日 | 宅老のグチ
靖国神社に昇殿参拝すると遊就館の割引券が出る。その割引券が回ってきて、行くことにした。神社にはまだ5日の雪が残っていて、人出も少ない。参拝後に昇段参拝する受付所で昇殿参拝料の値上げ案内の看板があった。間も無く2000円から3000円になるという。その付近には古木化した桜の木があって、あの戦争で満開の桜の下で会おうと言って死んでいった兵士も桜の様に記憶が朽ちてきているのだろうか。桜の活性化のため寄付の看板もあった。軍隊の戦友会寄贈の桜も古木化している。寄贈した年も昭和の年代ですでに50年程になる。
 今回の訪問は北白川宮(輪王寺)の扱いをもう一度確認するために行ったのだが前回時より遊就館扱いが小さくなっていて、北白川宮永久王の未完成像が気になった。さらに気が付いたことは、有栖川宮と小松宮の扱いで、小松宮の方が上位だったこと。
そこで全般的に皇族の扱いが目立つ。先の戦争で多くの人が亡くなった。そして人口が減りつつある日本で記憶の元となるところが消える。
 靖国神社を出て桜の開花時の人気で都内で一番の千鳥ヶ淵へ行き、戦没者慰霊碑の所で手を合わす。無名の遺骨はここに眠る。さらに全戦没者の名簿も載る。靖国神社で戦前の戦死者名簿の儀式の様子が見られた。これは日本の土俗なのだろう。災害の多い日本は戦争の一番の被害者も扱う風景は同じように見える。八百万の精神かもしれない。くさむすかばねはいつかは分解され土にる。
 千鳥ヶ淵での参拝は三浦半島観音崎の戦没船員慰霊碑の参拝時を思い出す。誰もいない南がひらけたところに立つ碑は風の音しか聞こえない。何か忘れないで言っている。先の戦争で日本の海運従事者が物資と兵士を乗せて、海に沈んだ。名簿上では60331人という。報われることなく海底に眠る戦没船員の御霊を慰めるとともに、二度と戦火のない海洋永遠の平和を祈念するため、昭和44年海運・水産界の関係者によって、慰霊碑建立のための財団法人戦没船員の碑建立会が設立されました。 でも誰もいない慰霊碑でした。
 その後東御苑まで行き、目的地の梅林を見たら、満開に近い梅の花でした。
 平川門から毎日新聞社・小学館で都営三田線乗る。1万5千歩。
 
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曇天の日で

2024年02月07日 | 宅老のグチ
リタイアしている身で冬の外出は雨が阻止する。色々なフェイク情報をチェックしていてどれが本当に近いかを頭と記憶の訓練とする。5日の東京の雪で降り出したのが昼頃で、前の日から天気予報で外出を避けるように通告していたのに、国道246沿線(大山街道)の渋滞は酷かったようだ。後講釈となるが川崎行きの所で通行止め。つまり橋が渡れない。雪の日の経験で橋の所が坂があって、その上寒い空気の通り道で凍結しやすい。
 東京の雪はプロ以外は車で出かけないほうが良い。なぜなら1台でも前方に雪に捕まると留め置きとなる。
 リタイアすると仕事という圧が無い。それゆえすぐに予定変更。いつものように暇つぶしのネット検索。ネット上の新聞記事も結構いい加減で、詳細を調べ、字の細かい部分を調べると詐欺寸前のアシスト記事がある。最近では豊洲の温浴施設の礼賛記事であの辺鄙な地の午後とか夜、水曜休市、日曜の閑散さなどの様子が判ればライタ―達の表現もあるだろう。
 朝日新聞は東京本社が旧築地市場にあって、日々食を築地周辺で食べていて、正月明けの初セリの話題は景気の気分の指標となっていた。ところがある年の1月5日(日曜日ではない)の夕刊で築地のマグロの初セリの話題が無かった。NHKを始めとしてTV各局はマグロの価格のニュ-ス。新聞夕刊もほぼ全部が社会面に出ている。なぜかすしざんまいの落札情報が無い。この不自然さは今でも記憶に残る。夕刊の正月は事件が無ければニュ-スは少ない。
 この辺りは春節の中国でほぼ経済関係が休みで、ニュ-スの様子がおかしい。様子からあらかじめ用意した景気の良い風景と思われる。日本だと道路の混雑具合とか絵になる風景が見れるが、不都合な事故・事件を映さない工夫が見える。ただこの不自然を破壊するのが天災で、日本には元日の震災で、今年の天からの警告となった気がする。浮かれるな日本。
 昨日見た記事で東証の株価予想が5万円をこえるという。びっくり。まだバブル価格を超えていないのに。
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雪の東京で 野次馬の出馬

2024年02月06日 | 宅老のグチ
積雪の東京で、考えることは一つ。ゆっくり見てみたい。新聞を取りに行くと、約1センチから2センチの雪。郊外では凍結事故もあるだろう。築地にいた時には積雪時の道路選択で工夫した。幹線道路の走行。陸橋等は側道を走る。しかし豊洲移転でこの経験則は通用しないと感じる。それでも今日の昼には融けるだろう。除雪の工夫はフォ―クリフトでパレットを重ね雪を動かす。たまの雪遊び。豊洲への道は橋が多く、高さもあって積雪時には難儀するだろう。ただ築地と違って多くの所が室内で作業するので問題は無いと思う。
 豊洲の温浴施設の情報を見ていたら、新橋の所でBRTという都と京成の共同運行の連結バスが動き始めたようだ。調べると日本テレビ本社前にバス停があって、適当な行き先で乘ってみたい。帰りは歩き。
 豊洲の施設は初物スキの人の様子も見たい。多分出てくる話は高価格ということになるだろう。
 さらに人の出入りを監視している豊洲市場の警備状況も見てみたい。築地が混雑した歴史は門が多く、警備の人の目が無いことから来ている。売り上げの低迷していた時代に1人でも多く購入する顧客が欲しかった。今のコストコのようなものだった。
 次の活性化は豊洲市場に地下鉄が来ることとなろう。大田市場にも貨物駅を利用して駅を創る話があって良い気がする。
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高齢者の昼は短く、夜は長い

2024年02月05日 | 宅老のグチ
仕事という制約がないので、雨天模様の日はうたたねですごす。TVのない生活が時間が過ぎると、変わるテレビ番組の気楽さもない。バランスということから出ている非常識人は不謹慎な発言をしない人物で選抜されている。ところがやはり無理な常識人行動のため、ストレス発散の場で、日頃抑えた衝動が出る。昔なら記憶から消えた事実も、今はデ―タ保護から長期に記憶が復活する。最近のタレントのスキャンダルの原因だろう。

 日々考え方が変わる。昔は高齢者が早く引退しろと言っていた自分を思い出す。大手企業の一括採用で不運によって出される人が多いと感じる。席取りゲームで不景気で席が増えず、逆に減らさないという席が増え、不運にも椅子が消えた人生も商店街を見ると感じる。昔は店が出せると思っていたのだろう。
 郊外に出た大型店も消費者の高齢化で車移動が消え、さらに消費量も減る。この変化が今は激しく対応を誤ると、悲惨な余生となる。災難は何処から来るか判らないということをコロナ3年で知った。大正時代のスペイン風邪の時、ワクチンもないのにおおよそ3年で終わった。今度のコロナも対策が無くても3年で終わったかもしれない。
 エボラ出血熱は恐ろしい病気で致死率も高いが中々蔓延しない。学者のいうには致死率が高いため、広がらないという。コロナは広がらなかった。

 道路の開通見込みで2030年は生きている内に通れると思うが2040年は無理かもと思う。その先の2050年はもう生きていることは無い。
 欲しいものは1970年万博で出品された全自動人間洗濯機と思う。これは母の介護風景を見ていて感じる。ネットのようなものに人が持ち上げられ、浴槽に入り、泡噴射のようなもので洗う。洗剤は使用しない。洗浄後に温風乾燥し、浴槽から出る。できそうな気がする。浴槽洗いは腰を痛める。
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節分の3日に浅草寺で七福神の舞

2024年02月04日 | 宅老のグチ
節分の3日に浅草寺で七福神の舞.
 ネットでこの舞の情報を得た時、下谷の町は福神が多いと感じた。昨年の大鳥神社へ行った時、酉の市で混んでいて、ふと賽銭箱の上に福神講という文字を見つけた。何か山岳信仰のような講だなと思って、家に帰って調べるとどうやら福神講は大鳥神社境内に出店している縁起物の熊手を扱う人たちの懇親会のようだ。講の命名由来は判らないが福神なら下町の人には無難な名称だろう。
 浅草寺の節分で七福神の舞というのがある。現場へ行って観るとどうも正式名称があって、七福神の舞は俗称のように感じる。
 台東区の観光案内で浅草寺の節分会に、災難・厄難退散を願い、年男が豆をまきます。午後2時15分過ぎ。2時半に奉演される「七福神の舞」は、観音様の福徳を讃えるもので、七福神の故事からとったといわれています。この舞は、昭和39年4月宝蔵門落慶を記念して、端午の節句に奉演される「宝の舞」とともに、「福聚の舞」として創始されました。年男の退場後に何か案内役が説明していたが聞き取れず、家で事情が解かった。
 内容は七福神のうち浅草寺関係の二つの福の神が主役で舞を演じる。 
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節分の浅草寺・福豆のおすそ分け

2024年02月03日 | 宅老のグチ
節分の浅草寺で雰囲気を味わう。
午後2時半から七福神の舞があるので、1時半過ぎに境内の会場につくが幅7M位で半分は人で埋まり、15分後には人で一杯となる。前の年の動画を見ていて、あまり福男の立っている舞台から近すぎると、頭の上を超す福豆が多いと見えた。そこで位置は中間で、前の人にくっつかない。
 人は密集していたが3分の1は外国人。福豆を投じ始めるとほとんど直接取ることは出来ない。手が伸びてきてキャッチを妨げ、地面に落ちる。これを拾うのが日本人だけしかいないように見える。外国人は拾わない。
 終わってみると、袋の中に福豆が10袋。取りそこなった人に数個のおすそ分け。


 
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3日の節分で

2024年02月03日 | 宅老のグチ
何かの報道で来年の節分は2月2日という。2024年がうるう年にあたることから、翌2025(令和7)年の立春は2月3日に早まり、節分は4年ぶりに2月2日となるのです。(国立天文台暦計算室)4日の日もあったというが忘れた。
 浅草浅草寺の節分の豆まきで、福は内しか叫ばないという。その理由は浅草寺境内には鬼はいないという。
 ふと思ったのだが、国語辞典でナタマメの項目を調べていて、引用として神霊矢口の渡しという、今でも上演されている歌舞伎の演目がある。これは江戸時代の博物学者の平賀源内が浄瑠璃作者の筆名(福内鬼外 )で発表したものだった。彼は生まれた時代が早すぎて、無残な死で終わった。
 福は何処にでもいそうだが鬼はいつ現れるか判らない。ひと月経った能登地震の規模は数千年に一度という規模で、ほんの短い時間で4Mほど隆起して、津波の被害を減らしたという。今の所300名ほどの死者行方不明者であるが日本の災害史の計算では今後も被災死者は増える。自宅から離れた高齢者は生きる気力と希望が薄く、ちょっとしたことで寝たきりとなる。多くの知り合いを一瞬の出来事で無くすということで気落ちは逃れられない。
 よく考えれば人はいつかは亡くなる。ただ早かったというだけである。災害史の本を読んでいて、日本人は対処の仕方に三種類あるという。今は運命論だろうが、やはり日本列島に住む限り、毎日どこかで地震があって、夏秋には台風、そして季節の変わり目にはゲリラ豪雨。地球温暖化で降水量が増え、海から蒸発した水はどこかに雨や雪となって落ちる。火災保険料が水害のため大幅に上がった。

 今気にしている中国の不況対策で、前日に発表して午前中は株価を維持するが午後には前日水準を下回る。これは日本でもあってバブル崩壊後の対策でPKOと言われて、結局役に立たなかった。知識のある人たちが彼らの損失を工夫で逃れた。間も無く香港の資産価値は消える。いかがわしいことが出来る地位が消えるという。そうなると香港の不動産の価値はもっと下がるしかない。中国のお金を香港に合法的に移し、そこから他の国へ移す。
 人間の創った制度はどこかに抜け道があって、いかがわしい金はすり抜ける。今の政権政党の混乱は資金の流れを監視している人たちの告発から始ま
る。

 蛇足 なぜ神霊矢口の渡しに福神漬に入っているナタマメが出て来るのか。
 明治の民俗学者山中共古の随筆で伊勢地方の女衒(少女をスカウトし、遊郭等に世話する人)今の言い方だと繁華街で女性をスカウトし、夜の仕事を紹介する。
 江戸時代は少女の適正テストとしてナタマメを食して、テンカン症状が出るかの判断をしていたという。しかし中国の本草書でも日本の薬用辞典でもこのような効能はない。
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渋沢栄一は中国へ出国できるのだろうか

2024年02月02日 | 宅老のグチ
2024年7月3日から日本国内で新紙幣に変わる。1万円札は渋沢栄一。
 最近の中国では国内から海外に出る金銭等を流出を制御している。多くの富裕層は密かに外国紙幣を持っていて、監視を逃れる。
 大量に福沢諭吉が中国に不法滞在していて、密帰国を狙っている様におもえる。
既に中国の富裕層は自国から脱出する勢いが加速していて、カナダ・オーストラリア等が移民制限中となってしまった。日経新聞の中国の経済指標の報道を見ていると、矛盾した記事が多く、慣れないと中国政府の御用報道を信じるようになる。その上に中国を誹謗する組織の報道もあって、炎上狙いのユ-チュ-ブ動画で結局何が今起きているか起きつつあるかはまだ不明。タダ解っていることは中国政府が必至で対策を講じているが、世界の見方が過去の勢いのいい時の見方と替わったことを知らないようだ。日本の財界幹部が1月末に訪問したが何も日本報道で出てこない。
 中国に対してのドップリ漬かった日本企業の決算報道が良く見えない。いずれ株式相場の厳しい目が本当の中国の様子となってしまう気がする。金の中国輸入が増えているというが、今の中国金融機関の様子から貯金は危険、紙幣は使えないとなり、結局金しか投資の対象となるしかない。高級な商品を中国で販売している所が今でも中国の売り上げが良いという。資金の流出を恐れる、中国政府はまだ富裕層の海外旅行でロレックス等で換金を知らないのだろうか。LVMH モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン の中国売り上げが良いという。何か裏がありそう。
 そんな時、日本へ早めに福沢諭吉を戻さないと、数年たって中国人が福沢諭吉を日本に戻すと疑わることとなる気がする。日本から中国に投資した漬物会社が利益を上げても日本に戻すことが出来ないと再投資していた時代があった。今はどうなっているのだろうか。環境規制に弱い漬物業は移転して行くしかない。でも不況中国では撤退も難しく、倒産夜逃げしかない気がする。

日本の文化はずっと中国の影響下にあって、アヘン戦争後でも尊敬していた。変わったのが日清戦争後である。学校の漢文の授業で
身体髪膚これを父母に受くあえて毀傷せざるは孝の始めなりという考経の一節を学んだ。入れ墨を嫌うのは江戸時代の刑罰の名残と考経から来ていると思う。
 日銀の日本国債の購入が激減しているという。これが無くなると日銀の含み損の恐れが消える。ETFで日本株の評価の損益分岐点が日経平均1万数千円台で今は含み益がある。金利のある時代に戻ると、住宅ロ-ンと地方銀行の貸し出し先の優良なところが少ないと思われたがどうやらインバウンドと言う所で活路がありそうだ。ニセコに次いで白馬、野沢温泉村が再バブルの入り口にあるようだ。まだ越後湯沢には戻っていない。高齢日本は人も公共施設の高齢化している。晩節を汚さないことは難しい。何しろ政府主導で高齢者の貯金を狙っている。物価2%上昇は働けない年金生活者に一段の工夫生活を強いる。
 勝ち組という住宅購入者もロ-ンが終わっても、家は古くなり、リフォ-ムの費用が年々上がる。さらに電化製品も15年経つと劣化し、部品も消え、買い替える事しか選択肢がない。この様な心配すると健康維持とちょっとした労働が必要かもしれない。

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地下鉄九段下駅に隣接の昭和館図書室で

2024年02月01日 | 福神漬
能久親王御事蹟の本を検索すると、思いもかけない図書室が出てきた。入ったことのある九段下駅の隣の昭和館の4階に図書室がある。後は国会図書館が所蔵しているがここは時間の制約があって、昭和館を選んで本を出してもらった。新規の利用者は図書館カ-ドを作る。
 二人ほどしかいない図書室は落ち着く。出てきた本は予想外に厚く、395ページほどの厚さ。数回通うことになりそう。
 森鴎外も台湾教育委員会の本も能久親王の自伝本というより、明治以降の記録と感じた。ただ輪王寺宮として生きていた時の無念さが全体に重く感じる。
 上野動物園の入り口前にある小松宮殿下の騎馬像は台東区教育委員会の説明版になぜ上野公園のこの位置に選ばれたかははっきりとした記録が無いという。輪王寺宮は戊辰戦争後に一時は逆賊扱いされた人物である。

北白川宮能久親王の評伝は数少ないが歴史小説家吉村昭著『彰義隊』、森鴎外の能久親王年譜、鴎外の編纂による能久親王御事蹟がある。
 吉村の本は彼が日暮里付近という地縁で詳細に下谷の庶民の気風を今に伝えている。森鴎外の本は日清戦争時の能久親王の事蹟の記述でこのことがヤマトタケル伝説と靖国神社遊就館の北白川宮の展示に繋がる。
 もともと靖国神社は戊辰戦争の時以後の政府軍死者を祀るところで日本各地にある護国神社の総本山となっていて、基本的には皇族は祀られていない。ところが北白川宮は台湾で征討中に死去して、後に台湾神社が創られ、祀られた。戦後に廃社となり、靖国神社に祀られることになったという。

 能久親王は国葬となり国から正式に赦免となった。死後も扱いは難しく、遺体は豊島岡の皇族墓地にあるが彼を嫌っていたイジメていた有栖川宮熾仁親王の墓の隣接地に葬られているという。本当なのだろうか。
 港区の有栖川公園内の都立中央図書館で、銅像を見ていてふと思うことがある。
有栖川宮幟仁親王の第1王子有栖川宮熾仁親王。17歳のときに当時6歳の皇女和宮と婚約しましたが、のちに和宮は「公武合体」の目的で14代将軍家茂と結婚させられてしまいます。熾仁親王が反幕府・尊王攘夷派となったのは、この婚約破棄がきっかけとも言われています。恭順の意思を示していた輪王寺宮を厳しく当たり、さらに日清戦争中に従軍の願いを退け、有栖川宮が死去すると大阪第四師団長から近衛師団に転属となり、日清戦争の講和会談中に従軍となった。その後台湾情勢が不穏となり、台湾に向かった。台湾では現地の抵抗もあったが日本軍人の大半の戦死者はマラリア等の感染病による死者という。このことが北白川宮が天皇の命令で日本各地の平定に駆り出され、戦地で亡くなったヤマトタケルの伝説と結びつけられ、今に残るヤマトタケルの銅像の顔は北白川宮の顔に似しているという。
 上野動物園の正門前にある小松宮の騎馬像はこの位置の根拠が台東区教育委員会の解説案内で疑問を呈している。やはり下谷の人はこの地に銅像を設置したかったという想いを感じる。先に北の丸の近衛師団前に銅像が出来てしまったこともある。

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