■ 『松本城のすべて 世界遺産登録を目指して』(信濃毎日新聞社2022年)に掲載されている麓 和善・名古屋工業大学名誉教授の特別寄稿「日本城郭史上における松本城天守の価値」を読んだ。以下、私の理解し得た内容を記す。
天守には「望楼型」と「層塔型」のふたつの様式がある。
望楼型は低層の櫓の上に、小さな望楼状の建物を載せた形式。
層塔型は何層にも重なった塔のように、各層の逓減率が一定の形式。
1579年竣工の安土城天守から1638年再建の江戸城天守に至るまでの約60年間に天守は望楼型から層塔型へと発達したという。
木造架構技術にも「井楼式通柱構法」と「互入式通柱構法」のふたつの架構方法がある。
井楼式は2階分の通柱を配し、その上に梁を井桁に組み、これを構造単位として重ねて天守を組み上げる構法。
互入式は各階交互に通柱を配し、天守を一体的に組み上げる構法。
※ 柱の平面的な位置、梁との位置関係の条件の記述を省略している。
大雑把に捉えれば望楼型の天守には井楼式通柱構法が、層塔型の天守には互入通柱構法が対応しているというが、スパッと対応付けられるものでもないようだ。
松江城(築城:1611年 国宝指定:2015年)撮影日2019.01.11(33会の旅行)
松江城天守は4重5階で1,2重が同規模で、2重目の大きな入母屋屋根の上に小さな3,4重目が載る望楼型だが、架構は互入通柱構法。
松本城(築城:1593,4年 国宝指定:1952年)撮影日2019.01.17
松本城天守は5重6階で1,2重がほぼ同規模だが、松江城とは異なり2重目に大きな入母屋屋根はなく、2重目から5重目の逓減率がほぼ一定ということが写真で分かる。だが、架構は井楼式通柱構法。
このことについて、著者の麓さんは**望楼型の架構形式をとりながらも、外観は先駆的に層塔型の様式を実現した天守、言い換えれば技術的には望楼型の時代に、外観意匠のみ層塔型としたと見るのが正しい。**(257頁)と解説している。
なるほど。 なぜ、そんなことをしたのだろう・・・。
麓さんはその理由を次のように説いている。**松本城天守は、豊臣政権による徳川家康への牽制・威嚇という戦略的意味が込められ、いまだ技術的には望楼型の時代に、5重の天守としての威容を誇示するために、外観意匠のみ層塔型として作られた。**(260頁)
なるほどねぇ。
今度、松本城を見学する機会があったら、井楼式通柱構法だということを確認しよう。