■『松本城のすべて 世界遺産登録を目指して』(信濃毎日新聞社2022年)に掲載されている麓 和善・名古屋工業大学名誉教授の特別寄稿「日本城郭史上における松本城天守の価値」を読んだことを前稿に書いた。
ポイントは**松本城天守は、豊臣政権による徳川家康への牽制・威嚇という戦略的意味が込められ、いまだ技術的には望楼型の時代に、5重の天守としての威容を誇示するために、外観意匠のみ層塔型として作られた。**(260頁)というものだった。
このことに関連して、麓さんは犬山城天守と松本城天守の規模の違いについて次のように説いている。**天守台石垣が同規模であるのにもかかわらず、なぜ犬山城天守は3重とし、松本城天守は5重としたのであろうか。それは天守の立地、すなわち犬山城は平山城で、天守は小高い丘陵の上に立っているのに対して、松本城は平城で、天守は平地に立っていることに起因する。**(259頁)
**藩政を担う城主の権力の大きさと、城主によって守られた城下町の繫栄の象徴としての意義が天守にはあり、それが天守の高さに表れていると考えている**(243頁)という麓さんの見解だが、小高い丘陵の上であればそれ程の高さを要せず、それが可能という訳。
目的は違うけれど、火の見櫓の立地でも同様のことがいえる。小高い場所に立っている火の見櫓はそれ程高さを要せず低いことが多い。ぼくはこのことについて「高さかせぎ」ということばで説明している。天守の立地にも「高さかせぎ」が当てはまるということを、この寄稿で知った。
高さかせぎ 山梨県身延町古関 2022.12.11