■ 浅田次郎の『帰郷』(集英社2016年 図書館本)を読んだ。
太平洋戦争で激しい戦闘が繰り広げられた沖縄戦で生き残った指揮官と戦死した部下の遺族の往復書簡をめぐる実話『ずっと、ずっと帰りを待っていました』浜田哲二・浜田律子(新潮社2024年)を読んでいたので、図書館でこの本が目に入ったのかもしれない。
表題作の「帰郷」ほか5編を収める小説集。印象に残ったのは「帰郷」だった。終戦直後の新宿で復員したばかりの古越庄一は体を売って日々を食い凌ぐ女に声をかける。マリアという通り名のその女は綾子。
**「金ならこの通り持っているが、あんたを買うつもりはないんだ」
(中略)
「どこかで、俺の話を聞いてくれないか」**(11頁)
連れ込み旅館の一室で庄一は綾子に出兵から復員直後までの出来事を語る。庄一の出身地が信州松本ということ、そして綾子も信州だったことが、この物語にぼくを引き込んだ。
復員して神戸港から名古屋へ。そして中央線に乗り継ぎ、松本駅に着いた庄一は義兄(二番目の姉の亭主)の三郎に声をかけられる。
**「なあ、庄ちゃ。聞き分けてくれねえか」
ぴったりと俺に体を寄せ、うなだれた頭を合わせるようにして、三郎さんは言った。
「僕と出くわしたのは、偶然なんかじゃねえぞ。きっと、諏訪の大神様の思し召しだ。だでせ、庄ちゃ。ここは何も言わねえで始発の汽車に乗れってこっさ。どっかに落ち着いたら、松本高校の気付けで便りをほしい」
三郎さんは懐を探って、ありったけの金を俺の掌に握らせた。(後略)**(42頁)
庄一は西太平洋のテニアン島で戦死を遂げたと戦死広報が伝えた。庄一の家では葬式を出し、墓石も建てた。妻の糸子は庄一の弟の精二と再婚していた。庄一のふたりの娘・夏子と雪子は精二の子になり、**「あんなあ、庄ちゃ。糸子さんの腹の中には、精ちゃの子がいるずら」**(44頁)と三郎は庄一に伝える。
**「夏子も精ちゃをおとうさんと呼んでるずら。雪子ははなから、精ちゃを父親だと信じてるがね。糸子さんも了簡してる。な、庄ちゃ。僕は誰の肩を持ってるわけじゃねえでせ、庄ちゃも了簡しとくれや」**(44頁)
生きて帰ってきて、松本駅で義兄に説得される庄一。**(前略)糸子をねぎらい、夏子を膝に抱き、まだ見ぬ雪子に頬ずりをしたかった。**(44頁)
ああ、これを戦争の悲劇と言わずして何と言う。三郎に説得され、新宿に出てきた庄一は綾子に声をかけたのだった。
宿の一室で綾子に一通り話をしてから、庄一は言う。
**「あんたに頼みがある」
(中略)
「俺と一緒に、生きてくれないか」**(48頁)
もうだいぶ前のことだが、浅田次郎の『鉄道員(ぽっぽや)』(集英社文庫)を読んで、涙小説だと書いた(過去ログ)。表題作の「帰郷」も涙小説、切なくて何回も涙があふれた。
この先、庄一と綾子はどう生きて行くのだろう。ふたりが歩む人生物語を読みたかった。短編なのは残念。