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透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

320~322 佐久市の火の見櫓

2012-08-14 | A 火の見櫓観察記

 
320

 鉄筋コンクリート造の消防倉庫の屋上に建てられた火の見櫓

6段のブレースは全てリング式ターンバックル付き。フラットバーの交叉ブレースより櫓は透けている印象だ。下の長和町の火の見櫓と比較すると、「スケスケ感」の違いが分かる。



 屋根と見張り台

避雷針に付けられた矢羽根と根元に付けられた飾り、それから四隅の小さな蕨手。共に細い鋼材による繊細なつくり。

見張り台の手すり子も細い鋼材でつくられている。手すりのすぐ下の曲線によるデザインは女性的。立科町と同様に見張り台に赤色灯が設置されている。

見張り台に比して屋根が小さいのもこの辺りの特徴か。



■ 水平ブレース

櫓の下部に設置された水平ブレース。このブレースの必要性、有効性は私には分からない。



■ コンクリート基礎

旧望月町(たぶん)にて 撮影 120813


  
321 旧武石村(現上田市)にて 撮影120813


 
322 後方の建物は佐久市望月支所







なかなか優れたデザインだと思う。ただ残念なことに屋根が無い。

撮影 120813


 


310~313 立科町の火の見櫓 その4

2012-08-13 | A 火の見櫓観察記

17 (前回からの通し番号) 赤沢
 
310

 先日立科町の火の見櫓巡りをした(立科町の火の見櫓 その1、2、3)。特に下調べをして出かけたわけでもないので、見落としが何基かあった。それで再び立科町の火の見櫓巡りをした。

今回はこの町在住のYさんと朝6時半過ぎに役場の駐車場で待ち合わせて、8時ころまでナビをしてもらった。彼女のおかげで効率よく廻ることができた。Yさん 忙しい迎え盆の日にすみませんでした。ありがとうございました。

まずは役場の近く、赤沢の火の見櫓。この町では一般的な型、消防庫を跨ぐ火の見櫓。


 18 平林

 
311





鉄筋コンクリート造の消防庫の屋根スラブには雨仕舞のための勾配がついている。火の見櫓は後方の柱脚部をコンクリートの独立基礎で「かさ上げ」して建てている。これは比較的新しい火の見櫓。鋼材の錆止めはコストを考えれば塗装だろうが、この色は亜鉛メッキかもしれない。確認するのをうっかり忘れた。


19 柳沢

**柳沢に、畑の中にうもれて、脚だけカットされたような珍妙な櫓があったので、再訪の際はぜひ探してみてください** それがしさんからこのようなコメントをいただいていた。その火の見櫓がこれ。

 
312



ぶどう畑にかくれていて道路からは分かりにくい立地。Yさんがあらかじめ調べておいてくれたおかげで、迷うことなく行くことができた。

確かに櫓の下半分が地中に埋もれてしまったかのようだ。



別の方向からはこんな様子。





脚元に注目。これは踊り場の床だ。この火の見櫓はどこか別の場所から移設したのだろう。下の写真で梯子の支柱を溶接で留めていた痕を2ヶ所確認することができる。これで櫓の下部をカットして上部だけを据えたということが分かる。


20 虎御前

 
313





前回は手前の五輪久保という地区の火の見櫓を見て引き返した。あたり一体は果樹園で、もうこの先には集落はないだろうと思ったから。だが、虎御前という変わった地名の集落があった。

でもこの勘は全く外れていたわけではなかった。Yさんが用意してくれた立科町の地図を見ると、確かに上田市、東御町との境界がすぐ近くだった。

虎御前という変わった地名の火の見櫓は消防倉庫の後方、小高い場所に立っていた。このような地形を利用することは珍しくはない。

既に書いたことの繰り返しになるが、この火の見櫓もスレンダーな櫓で、上部はバックルのないブレース、下部はリング式のバックル付きのブレース、四角い屋根に丸い見張り台という型(タイプ)で、東信に多いという印象。


 


314~319 立科町の火の見櫓 その5

2012-08-13 | A 火の見櫓観察記

21 藤沢

 
314 藤沢地区の火の見櫓と消防庫のツーショット


 22 古町

 
315

古町の火の見櫓も消防庫を跨ぐというこの町のオーソドックスな型(タイプ)だ。

両足をできるだけ外側に向けてひざを曲げ、この火の見櫓のような立ち方をしてみると、外側にひざが突き出て尻が下にさがりやすいことが容易にわかる。ひざを曲げないで立っている場合とは全く違って、キツイ。

実際、この火の見櫓の脚部の折れ曲がっているところ、即ちひざに相当するところには、櫓の荷重(自重)を受けて外側に開こうとする力がはたらく。それで下の写真のように、スラブを貫通させることで、その力に抵抗させているのだ。

わざわざ脚をスラブに貫通させているのは(いや、施工順序からすれば、脚が貫通するようにスラブをつくっているのはと書くべきだろう)このような理由による。




23 東塩沢

 
316






24 西塩沢

 
317




 25

 
318

背の低い火の見櫓。見張り台は踊り場と同じつくり方で櫓の外に飛び出している。





梯子の下端を接地させないのはこの町の標準仕様のようだが、一体何故だろう・・・。


26 芦田(たぶん)

 
319



前回もこのタイプの火の見櫓を見た。このフォルムには何故か惹かれる。マッキントッシュの椅子のデザインにどこか通じるような気がするなあ。


 


「ぼくの住まい論」を読む

2012-08-12 | B 読書日記 

 この3日間、酒席が続いた。

9日は年末まで続くある仕事が一段落したのを機に行われた関係者の慰労会、10日はあるプロジェクトの祝賀の宴、そして昨日(11日)は菩提寺のお施餓鬼会(おせがきえ)の後の慰労会。長年高野山大学の教職にも就いておられた名誉住職の法話を拝聴。

実は今夜も24会(高校の同期生の親睦会)の飲み会が予定されているが、さすがに4夜連続というのは肝臟にも財布にもきつく、パスすることにした。明後日には33会(中学の仲良し同級生の集まり)がある。



今月のアルコール摂取量は既に定量オーバーだが、読書量はまだまだ不足している。ということで、今日『ぼくの住まい論』 内田 樹/新潮社を読んだ。道場兼自宅というか、自宅付きの道場というか、その新築を通じて考えた住まい論の展開。『日本辺境論』の内田氏の論考は教育にまで及ぶ。

以下 なるほど確かに、という指摘を備忘のために記す。

**「家」は何よりもまず「集団内でいちばん弱いメンバー」のためのものであるべきだとぼくは思います。幼児や妊婦や病人や老人が、「そこでならほっと安心できる場所」であるように家は設計されなければいけない。家は、メンバーのポテンシャルを高めたり、競争に勝つために鍛えたりするための場じゃない。(中略) 家というのは、外に出て、傷つき、力尽き、壊れてしまったメンバーがその傷を癒して、また外へ出て行く元気を回復するための備えの場であるべきであるとぼくは思っています。**(16、17頁)

 **そこに住む人間が家と対話を始めることで、家そのものがそれまで持っていなかった語彙や音韻を響かせる。(中略)奏者の技術や感覚によって楽器の出す音色が変化するように、住む人がその空間をどんなふうに使うか、その用途や使い方に呼応して建物がその潜在能力を発揮する。(中略)そういう能動性は、申し訳ないけれど、大手の住宅会社が作る既製品的な住宅には感じとることができません。それらは人間が住む前に、商品としてすでに完結しているからです。(中略)だから、住宅雑誌のカメラマンが家の撮影をするときには、住民の生活を意識させるものは徹底的に排除されます。(中略)人間がそこで生活すると「汚れる」から、なるべく人間には住んで欲しくないというようなことをアピールするような住空間をどうして人々はあんなふうにありがたがるのか、ぼくにはわかりません。**(65、68頁)

確かに。

建築雑誌に掲載される住宅には生活感など全く感じられないものが多い。酔っぱらって帰ってきたらケガをしそうな住宅も紹介されている。

生活が始まったら「作品」として成り立たなくなってしまうというのは、建築としての弱さの露呈に他ならない。生活が始まって、汚れようが傷がつこうが動じない住宅、そして人が写っている方がサマになる建築を創らなくては・・・。

 **「電気の(あまり)ない生活はぼくにとっても、ひとつの理想です。経済成長論者は眼を三角にして怒り出すでしょうけれど、ぼくはエネルギーを「地産地消」できるような社会制度にこれから日本はシフトすべきだろうと直感しています。(中略)どうやって原発以存の体質から脱却するのか。そのソル―ションの一つが「低エネルギー消費社会」シフトです。**(76、77頁)

この言葉の実現可能性を問う意味はそれほどない。この国の目指す到達点として提示されていることの意義を評価すべきだと思う。

**学校というのは「母港」なんだと思います。教師は灯台守りです。暗い海に出て行った人たちはときどき振り返って母港の灯りを確かめる。(中略)母港のある船がいちばん遠くまで航海することができる。冒険の旅を事故なく終えることができるのは「帰ってくる場所」を持っている人間です。**(165、166頁)

**10年ほど前に高校を卒業した娘が東京へ行くときに、ぼくが娘に言ったのは二つだけです。「金なら貸すぞ」と「困ったらいつでも帰っておいで」。親が子どもに向かって言ってあげられる言葉はこれに尽きるんじゃないでしょうか。泊まるところがなかったら、いつだって君のためのご飯とベッドを用意してあるよ。この言葉だけは親はどんなことがあっても意地でも言い続けないといけないと思うんです。**(16頁)

学校も家も母港としての役目を果たすべきという指摘。そう言えばかぐや姫の「妹よ」にはこんな歌詞があった。

♪ 妹よ あいつは とってもいい奴だから  
どんなことがあっても 我慢しなさい
そして どうしても どうしても
どうしてもだめだったら 帰っておいで 妹よ

これほど優しい呼びかけはない、ということだ。

 **知性的・身体的な潜在能力をどうやって開花させ、引き上げてゆくか。今の教育制度はこれをもっぱら利益誘導によって行おうとしています。成果を数値的に格付けし、格付け上位者には報酬を、下位者には処罰を与えるという「人参と鞭」システムです。自己利益の増大を求める欲望と、処罰を恐れる恐怖心が人間を成長させると、この教育方法の推進者たちは信じています。それはずいぶん貧しい人間理解だと思います。
ぼくの経験が教えるのは、若者たちの能力が上がるのは、報酬や処罰によってではなく、「学びたいことを学び、やりたいことをやりなさい」と言ってくれる年長者の支援があるときです。**(172頁)

確かに。

まあ、数値的格付けという方法が一番楽なわけで・・・。でもそれは意味がない、それではダメだということはとっくに明らかになっているはずだが・・・。


 


― 跨ぐ

2012-08-11 | A 火の見櫓観察記
またぐ

1 足を開いて物の上を越える。「水たまりを―・ぐ」
 
2  かけ渡す。またがる。「谷を―・ぐつり橋」

 goo辞書による
 


池田町 分団詰所をまたぐ

何故 こうまでしてまたぐのか・・・  ワカラ~ン



立科町 消防庫をまたぐ



茅野市 道路をまたぐ



辰野町 水防倉庫をまたぐ


立科町 消防庫をまたぐ


原村 消防倉庫をまたぎそこなう

何故 こうなるのだろう・・・ ワカラ~ン


 またぐ火の見櫓 あれこれ


― 東屋に姿を変えた火の見櫓

2012-08-05 | A 火の見櫓観察記





撮影120805

 松本市の西隣、山形村の中大池という地区の火の見櫓は消防団の詰所と共に解体・処分されてしまいましたが、地元の人たちの希望で脚部が残され、屋根を載せて東屋に生まれ替わりました。

小屋組は敷き桁を設置してアンカーボルトで固定し、隅木を掛け、垂木を取り付けるというごく一般的なものです。なかなかいいプロポーションの東屋になったと思います。

これからは地元の人たちの憩いの場として、第二の人生、じゃないか、第二の何だろう・・・を送って欲しいと思います。


在りし日の火の見櫓

長身でなかなか整った姿・形の火の見櫓でした。取り壊されてしまったのは残念ですが、その一部が別の用途に転用され、残されたのは喜ばしいことです。


 


309 火の見櫓と道祖神が並び立つ訳

2012-08-05 | A 火の見櫓考


 
309

 松本市水汲、サイトウキネンフェスティバルの会場のひとつ、キッセイ文化ホール(長野県松本文化会館)のすぐ近くに立っている火の見櫓。

3角形の櫓に丸い屋根と見張り台というオーソドックスなタイプ。先日立科町からの帰りに立ち寄った。かなりの高さだが(梯子1段の高さを測り、段数を数えれば高さがわかるがそれをしなかった・・・)踊り場は無い。これを登り降りするのはかなり怖いのではないか、と思う。

この火の見櫓の脚元にも道祖神が祀られている。共に道路沿いの公的な空間に建てられることが道祖神と火の見櫓とが並び立つことが多いことの理由として考えられる。

また、共に地域の人たちの暮らしを見守るという共通の役目を負うているが、このことも理由なのかどうかは分からない。全く関係ないとは言えないようにも思うが・・・。


 


ブックレビュー 1207

2012-08-04 | B ブックレビュー



■ 早くも8月、先月のブックレビュー。

『東京都美術館ものがたり』

9月末まで開催されている同名の展覧会の展示作品やその解説文を収録した本。




『タワー』INAX出版 

この表紙に魅せられて買い求めた。力学的に無理のない素直な形、やはりうそのない形は美しい。火の見櫓もこの形が理想。名古屋テレビ塔と大阪通天閣、そして東京タワー この3塔の生い立ちから現在までを振り返る。


『日本美術史』美術出版社

10数年ぶりの再読。古代から現代まで、日本美術の流れをコンパクトにまとめた本。


 『図解 橋の科学 何故その形なのか?どう架けるのか?』土木学会関西支部編/講談社ブルーバックス

本書を読んでコンクリート充填鋼管構造とバナナの房は共に曲げの力に強いがその構造的原理は同じ!ということに気がついた(過去ログ)。

本を読んで何かひとつ得るものがあればそれでいい。


 


308 長和町の火の見櫓

2012-08-02 | A 火の見櫓観察記

 
308






撮影 120729

 先日立科町で火の見櫓巡りをしたが、その往路、長和町でこの火の見櫓を見つけた。やはりこの火の見櫓のように防災無線のスピーカーの無いすっきりした見張り台は好ましい。

この火の見櫓は①細身、②ターンバックルの無い上部のブレース、③櫓の外側に設置された踊り場、④四角形の櫓と円形の屋根・見張り台という東信方面に多い(と思われる)特徴を備えている。

このことについてはもう少しきちんと調べなくてはならないと思う。火の見櫓をタイプ分けして、県内の分布状況を把握し、それを下の左図のようにビジュアルに示すことができたら・・・。今後の課題、いつか叶えたい課題として挙げておく。



『森林の思考・砂漠の思考』鈴木秀夫/NHKブックスに示されている図


 



火の見櫓の下に設置されているバス停