■ このところブログが火の見櫓一色になっているが、これは私の本意ではない。火の見櫓は趣味のひとつ、というくらいの位置付けにしておきたい。
立科町では何体もの道祖神を見かけた。火の見櫓や道祖神が多いというのは歴史ある町であることの証左、と言っていいだろう。新しい町にはどちらも無い(ここで注意したいのは古い町でもどちらも無いこともあるということ)。
立科町から旧北御牧村、旧望月町あたりは周囲をたおやかな里山に囲まれたのどかな田園地帯で、いくつもの集落が散在している。それらの集落には火の見櫓があって、路傍には道祖神が祀られている。連綿と続けられてきた素朴で堅実な暮らしをそこに感じる。人びとの地域を慈しむ優しい心も。
この道祖神は同町西塩沢で見かけた。平安貴族風のスタイルの男神と女神が並び立つ道祖神だ。十二単衣(としていいのかな)を着た女神が酒器を傾け、冠をつけた(これも違うかな)男神の盃にお酒を注ごうとしている様が彫られている。
双神の顔の向きがいい。正面でもなく対面でもなく、やや内側を向いている。上にあるのは(たぶん)神殿造の基本的なアイテムだが、さて困った、名前が分からない・・・。
今在る火の見櫓は戦後、昭和20年代後半から30年代半ばころまでのものが大半、道祖神は江戸末期から明治のものが多い。前者は鉄の造形、後者は石の造形だ。対象こそ違え、そこには職人の美意識が反映されている。それをきちんと感じ取ることができるかどうかは偏に私の感性と知性にかかっている。このことを肝に銘じておきたい。