透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

安部公房の作品

2024-03-07 | A 読書日記

 今年2024年は安部公房生誕100年。そして今日3月7日が誕生日。『芸術新潮』は3月号で安部公房の特集を組んでいる。題して「わたしたちには安部公房が必要だ」。

前々からいつか安部公房の作品を再読しようと思っていた。で、この機にと、『他人の顔』を読んだ。身分証明書には顔写真を付けるように、やはり他者との関係において、自己が自己であることを証明するものは、顔ということになるだろう。自己を規定する顔。

では、その顔を失ってしまったら・・・。安部公房の顔をめぐる思考実験。『他人の顔』はその思弁的な考察を論文ではなく小説に仕立て上げた作品だ。

**「ところで、どんなものだろう、もし人間の顔が、目も鼻も口もない、卵のようにのっぺりしたものだったとしたら・・・・・」
「うん、区別できなくなるだろうな。」
「泥棒も、巡査も・・・・・加害者も被害者も・・・・・」
「おまけに、うちの女房と、隣の女房もだ」**(45頁)

**身分証明書は役に立たなくなり、手配のモンタージュ写真も無効になり、見合写真も破って捨てられる。見知っている者と、見知らぬ者とが、ごっちゃになり、アリバイの観念そのものが崩壊してしまうのだ。**(183頁)

『他人の顔』で安部公房はおよそ想定し得る状況をフォローしている。

**顔の喪失という、ぼくの運命自体が、すこしも例外的なことではなく、むしろ現代人に共通した運命だったのではあるまいか。**(166頁)と指摘している箇所があるが、他者との関係が間接的で希薄になっている現代、自己の存在を規定(アイデンティファイ)する顔の有効性、実効性が危うくなっているのかもしれない。

『他人の顔』は1964年、60年も前に発表されたが、上記の意味において今日的な作品と言えるだろう。安部公房はすごい作家だった、と改めて思う。

今年は安部公房を読もう!



自室の書棚にある安部公房作品(新潮文庫19冊)

『幽霊はここにいる・どれい狩り』『友達・棒になった男』『緑色のストッキング・未必の故意』この3冊は戯曲作品で未読、手元にない。『けものたちは故郷をめざす』と『燃えつきた地図』は読んではいると思うがやはり手元になかったので松本駅近くの丸善で買い求めた。『石の眼』は絶版になっているようだ。


松本清張の『顔』もおもしろい作品だったな。