今日は荻窪の実家(男は実家っていうのか?)に泊まりに来ています。
お袋が今朝、めまいがするとの事で救急車で運ばれた。
昼過ぎに、弟の嫁さんから電話が入って、会社が終わったら
一目散に帰宅して、実家へ急いだ。
着いてみたら、お袋が元気そうにしているので一安心。
でも、大事をとって明日はかかりつけの東京女子医大へ連れて行く。
お袋、5年前に癌が全身に転移して「余命半年」と言われ、
最後は看取ってやろうと僕のマンションに引取った。
ところが、その頃は子供が小さくて、毎日キーキーキャーキャー。
お袋が落ち着かないのと、子供を叱るのを見かねて体調が回復したのを機に
実家へ戻り、一人暮らしを始めた。
最初は豪州から姉に来てもらって、2ヶ月ほど生活ペースを作って
それからはホームヘルパーと兄弟が協力してサポートする生活になった。
化学治療が効果を見せ、それからは医者も信じられないほど
元気になって、既に5年を経過したというわけ。
お袋はこの10年で両膝に人工関節を埋め込む手術で2回。
乳癌で始まって、卵巣癌、子宮がん、腹膜に癌の転移と
摘出手術が3回。文字通り、満身創痍だった。
それでも、「生きる」という気力が強いお袋は、不死身とも言える回復をみせた。
一時期、病院へ見舞いに出かけたりしている僕の方が
「神様は一体、どれだけお袋に試練を与えるのか?」などと考えて
自分の生活自体がおかしくなってしまった時期もあった。
そんなことがあるから、本人が「大丈夫」と言っても、とりあえず医者に診せる。
久しぶりに実家の風呂。20年ぶりかなぁ・・・・
築45年の木造住宅。もうとっくに建て替えの時期が来ている。
でも、自分が育った家。何だか、自分の歴史が刻まれている気がした。
27年前に63歳で他界したオヤジがいつも座っていた茶の間の柱は、
オヤジの頭についていたポマードが、柱に寄りかかった時に、
長い時間をかけて浸みこんだ跡がうっすらとある。
今はその場所に、オヤジと同じように寄りかかる僕。
オヤジを筆頭に、男4人が吹かしたタバコで茶の間の壁は茶色くなっている。
畳は、痛んでいるから張り替えようと言っても
「どうせ建て替えるんだから勿体無い」とお袋が言うので、だいぶ色が変ってしまった。
僕の嫁さんは、新築で購入した綺麗なマンションが好きで居るけれど
僕は集合住宅にはいまだに馴染めなくて、フローリングのリビングでは全くくつろげない。
今日は、畳の上でPCを操作しながら、何処かゆっくりとくつろいでいる。
良くも悪くも、自分の育った家の文化が今でも息づいている。
4畳の板の間と土間がある無駄に広い玄関にヒノキの回り廊下。
3寸5分角のヒノキの柱、板に紙を張った偽者じゃない襖紙を幾重にも重ねた襖、
今は仏壇置き場になっている床の間。そこから縁側越しに庭が覗ける雪見障子、
いつかは建て替える日が来るんだろうけれど、この古く汚い家は嫌いじゃない。
自分の人生の半分はこの場所で過ごしたんだもんなぁ・・・・
最近、僕の通っている地元荻窪の床屋の御主人や、相方にも
「そろそろ、荻窪に帰ったら?」って言われる。
うん、真面目にそうしようかな・・・・って、考え始めている。
嫁さんは、きっとまた嫌がるんだろうなぁ・・・・。
お袋が今朝、めまいがするとの事で救急車で運ばれた。
昼過ぎに、弟の嫁さんから電話が入って、会社が終わったら
一目散に帰宅して、実家へ急いだ。
着いてみたら、お袋が元気そうにしているので一安心。
でも、大事をとって明日はかかりつけの東京女子医大へ連れて行く。
お袋、5年前に癌が全身に転移して「余命半年」と言われ、
最後は看取ってやろうと僕のマンションに引取った。
ところが、その頃は子供が小さくて、毎日キーキーキャーキャー。
お袋が落ち着かないのと、子供を叱るのを見かねて体調が回復したのを機に
実家へ戻り、一人暮らしを始めた。
最初は豪州から姉に来てもらって、2ヶ月ほど生活ペースを作って
それからはホームヘルパーと兄弟が協力してサポートする生活になった。
化学治療が効果を見せ、それからは医者も信じられないほど
元気になって、既に5年を経過したというわけ。
お袋はこの10年で両膝に人工関節を埋め込む手術で2回。
乳癌で始まって、卵巣癌、子宮がん、腹膜に癌の転移と
摘出手術が3回。文字通り、満身創痍だった。
それでも、「生きる」という気力が強いお袋は、不死身とも言える回復をみせた。
一時期、病院へ見舞いに出かけたりしている僕の方が
「神様は一体、どれだけお袋に試練を与えるのか?」などと考えて
自分の生活自体がおかしくなってしまった時期もあった。
そんなことがあるから、本人が「大丈夫」と言っても、とりあえず医者に診せる。
久しぶりに実家の風呂。20年ぶりかなぁ・・・・
築45年の木造住宅。もうとっくに建て替えの時期が来ている。
でも、自分が育った家。何だか、自分の歴史が刻まれている気がした。
27年前に63歳で他界したオヤジがいつも座っていた茶の間の柱は、
オヤジの頭についていたポマードが、柱に寄りかかった時に、
長い時間をかけて浸みこんだ跡がうっすらとある。
今はその場所に、オヤジと同じように寄りかかる僕。
オヤジを筆頭に、男4人が吹かしたタバコで茶の間の壁は茶色くなっている。
畳は、痛んでいるから張り替えようと言っても
「どうせ建て替えるんだから勿体無い」とお袋が言うので、だいぶ色が変ってしまった。
僕の嫁さんは、新築で購入した綺麗なマンションが好きで居るけれど
僕は集合住宅にはいまだに馴染めなくて、フローリングのリビングでは全くくつろげない。
今日は、畳の上でPCを操作しながら、何処かゆっくりとくつろいでいる。
良くも悪くも、自分の育った家の文化が今でも息づいている。
4畳の板の間と土間がある無駄に広い玄関にヒノキの回り廊下。
3寸5分角のヒノキの柱、板に紙を張った偽者じゃない襖紙を幾重にも重ねた襖、
今は仏壇置き場になっている床の間。そこから縁側越しに庭が覗ける雪見障子、
いつかは建て替える日が来るんだろうけれど、この古く汚い家は嫌いじゃない。
自分の人生の半分はこの場所で過ごしたんだもんなぁ・・・・
最近、僕の通っている地元荻窪の床屋の御主人や、相方にも
「そろそろ、荻窪に帰ったら?」って言われる。
うん、真面目にそうしようかな・・・・って、考え始めている。
嫁さんは、きっとまた嫌がるんだろうなぁ・・・・。