僕は変人なのか?
人と話をしていて、出てくる言葉を漢字に置き換えている事が多々ある。
特に同じ読みで意味もほぼ同じの言葉は何時もやっている。
例えば『みる』
様子を見る、映画を観る、面倒を看る、医者が診る、被災地を視る、
等は、この場合はこの文字だな・・・なんて、しょっちゅう変換してる。
もうひとつは『あう』
体に合う、計算が合う、友達に会う、親の死に目に会う、恋人と逢う、
バッタリ遇う、ひどい目に遭う・・・これもしょっちゅうやってる。
つまらないことだけれど、使い分けが出来ると僕みたいな阿呆でも
何だかインテリになったような気分になって楽しいのです。
それと、最近の人は言葉を使い分けてないなと思う。
一番気になるのが安っぽすぎる『友達』という言葉。
ちょっと知り合っただけで『友達』って一括りにする人が多いけれど
僕の子供には『○○の・・・』を付けさせる。
僕の交友関係はかなり広くて、それゆえに面識のある方が多いのだけれど
その中で『友達』と呼ぶ人間がどれくらい居るかと言うと、そんなに居ない。
例えばバンドの相方は『友達』とは言わない。
強いて言うとしたらやっぱり『相方』。『友達』とはちょっと違う。
これは多分、僕の中では最上級の呼び方になるんだろうな。
次に凄く近しい人は『友人』と呼びます。
これは自分の事を知っている、かなり近い存在。
深川の神輿オヤジ、元バンド仲間のD氏、会社でも数人しか居ない。
その次は『仲間』
友達とはちょっと違う、有る事に対して同じ目的を持った人たち。
サッカーチームの『仲間』、劇団の『仲間』がその類。
この『仲間』は年齢に関係なく、リスペクトしている人も多々いる。
かつてはウィンドサーフィンの『仲間』が居たんだけれど、
今は全く会わなくなっちゃった。
最近では中学校の同窓会幹事がこの『仲間』になっている。
『仲間』に共通して言えるのは、一緒に居て心が和んで楽しい事かな?
会社の中に居るのは『同僚』で、『仲間』と呼べる人は少ないかな?
そう云う意味では会社には『友人』か、『同僚』しか居ない気がします。
その他は『知り合い』、『顔見知り』となるんだけど、
若い人のいう『友達』は、僕の中では『知り合い』に入るのかも?
少なくとも『顔見知り』とは違う、ある程度の付き合いがある人です。
なんて・・・・、ここでも使い分けしてます。
決して『友達』などという、何だかわからない、どうでもいい言い方はしませんね。
最近、吉祥寺で殺人事件を起こした若者が、
ゲームセンターで知り合った友達・・・・と言ったのを聞いて、
こいつらは友達って言うのを簡単に使ってるなと思ったのですよ。
安っぽい関係の人も、大事な人も仕分けできていないのかも知れませんね。