『やんちゃジジイ・ゆうちゃん』のイカすセカンドライフ

我儘で『やんちゃ』な爺さんの目標は、
周りに笑顔を振りまいて、楽しくセカンドライフを生きる事。

『村社会』の人々

2014年08月27日 | Weblog

僕は嫌われ者。
その理由は判っている。他の人と違うから・・・・

日本人は皆と同じって言うのが、好まれる。
国民が皆、中流意識を持っている国民性は『理想的社会主義国家』と言われたりする。
それは都道府県、市区町村、町内会と規模が小さくなればその傾向が強くなる。
強会社みたいな小さな『村社会』になれば、周りと違うと『村八分』になる。
 
そう云う意味で僕は『村八分』になり易い。
なんせ、何も考えずに他人と同じ事をやっても、ちっとも面白くない。
この『何も考えずに…』と言うところが大事な部分。
何でもかんでも、人と一緒なのが嫌なのではなく、時には集団に加わる。
自分の考えや、嗜好に合って居れば楽しいし、仲間が居れば知恵も湧く。

ところが、会社と言う組織では『何も考えない』方が都合が良いのだ。
口では『社員の個性を伸ばす』と綺麗事を言うけれど、実際にはそうじゃない。
伸びる方向が決められていて、上に立つ人間の思った方向にしか伸ばせない。

それでも、考えてそうして居るならまだマシなのだけれど、
往々にして『何も考えずに』言われた事をやるのが、好まれるのだ。

日本人が好きな野球は、まさに管理社会のスポーツ。
サッカーで日本が強くならないのは、子供の頃から個性ある子は嫌われる、
そう云った社会構造が大きく左右して居ると思おう。

本田圭祐が嫌われるのも、周りと違う個性で強烈だから。
でも、海外ではあれがスタンダード。
彼を嫌う人間、実績をきちんと評価しない人間が大勢いるのは、
『村社会』で生きている人間たちだからです。
凄い人を単純に『凄い』と評価できない人間は、そもそもレベルが低いから・・・・

これは会社という『村社会』でも同じです。
ちょっと変わった人間は、浮いてしまう。
僕は、変人だからいつの間にか『村八分』にされている。
オマケにそう云う事をする人間は、大した事が無い人間が多い。
レベルの低い人間に、そう云った事をされるのはストレスが溜まる。

まぁ、それでも何とか踏ん張って、頑張っているんだけれど、
虐める人間は、それがまた気に入らなくて虐めるんだろうね。
僕を見ている若い人が、そう云う連中を『底意地悪い』と言っていたけどね・・・・
そう云う人は、そういう育ち方をして来ているのですよ。

弟子が海外出張に行って、僕のやって来た仕事の事を
出会った殆どの人が知っている事に驚いて
『スーパースターなんですね…』
なんて、歯の浮くようなお世辞を言っていたけれど、ちょっと嬉しかった。
長い事やってればそんなものです。大したことじゃない。

でも、僕が気に入らない人にはそんな事も、癪に障るんだろうなぁ・・・・

世の中には凄い人が沢山居るから、僕なんか単なる凡人に過ぎないのに、
『村社会』で安穏に生きている人には、判らないのでしょう。

コメント
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