今日はいつも通り、仕事へ行ったのが午後1時過ぎ。
来週からリハビリを朝一番にしてもらったので、
少しは早く行くようにしようかと思っている。
それでも、仕事以外の時間は芝居の事で頭が一杯。
今回の芝居は最後に僕が唄う曲がある。
単純に譜面通り唄っても、歌唱指導の先生は許してくれない。
芝居の中で、唄う気持ちをどう作って行くか?
それは唄う前の芝居のセリフにかかっています。
実はこれが一番難しい。
唄に関してだけ言えば、バンドでずっとやってきているから
譜面通り唄う事は、さほど難しくない。
でも、それでは聞いている人の心までは揺さぶれない。
芝居の唄と言うのは、台詞の一部ですからね。
台詞と同じように、唄っているときにも芝居が進んでいます。
芝居の唄をやるようになって、この辺りが大きく変わりました。
今までやってきたバンドの唄は、なんとなく上手く聞こえるようにやっているだけ。
それがいかに薄っぺらなものだったか・・・・・思い知らされた。
こんな音楽では、聴衆の心までは揺さぶれませんよね。
だから今は、バンドも練習をやらないならやる気はない。
ましてや言葉の意味がよく判らない英語の唄を、唄っても
何だか格好良さそうに見えるだけで、聞いている人は何も感じない。
東北でライブをやっても、何か手ごたえや達成感が無かったのはそのせいでしょう。
洋楽を唄っても、気持ちが乗せられないですからね。
気持ちが乗らない歌と言うのは『ドラマ』が無いのです。
ただ、上手に唄えているだけの薄っぺらなものでしかない気がします。
そういう点で、三味線を抱えてやってきた富山の御仁は凄かった。
気持ちが入っているから、出てくる音も心揺さぶるものになっていた。
レベルが違いすぎて、恥ずかしかったですね。
今日は昨日、座長から指導された台詞の間や、テンポ、
それと言葉を立てる事を意識しながら、電車を待っている間などに、ブツブツと台詞の練習。
きっと周りの人は『変人』って思ったでしょうね(笑)
そんな、セリフの練習をしていて、ちょっとしたことに気が付いた。
台詞自体に心と言うか気持ちが今一つ、上手く入らないのです。
もう一度台本を読んでみて、台詞の中の言葉のせいかなって・・・・
あれこれ考えて居たら、自分ならこう表現する・・・・というものが出て来た。
週末にその件を話そうと思って、帰宅するや座長にメール。
僕の技量不足かも知れないけれど、そういう点も含めて
座長は話を聞いてくれますからね。
明後日は、もう週末。
稽古もあと2週間しか、出来ないので焦っています。