僕の日記を読んでくれている、古い友人の女性が居る。
日記を読んで、僕と一緒に一喜一憂しているそうで、何だか面白い。
そんな友人が、最近の僕の精神的な面を心配して、意見や感想を
メールに色々と書いて送って来てくれる。
日記のコメントだと、文字で残ってしまう上に公開されてしまうので、
言いたい事が、書けない部分もあるのでしょう。
友人は1年ほど前から僕のブログを読むようになったらしいのだけれど、
古い友人だけに、僕のブログを書き始めた頃の日記までさかのぼって、
読んでいるみたいで、僕のような文才の無い人間の書く日記でも、
たまに良い事や、印象に残る日記があるそうでそう云う日記は
ブックマークして、何度も読んだりするそうです。
有難いような、照れくさいような……
その友人が僕の日記の中で好きな文章を教えてくれた。
丁度6年前の今頃、2008年8月28日の日記。題名は『Dear my Friend』
今と同じような状況に陥って、部署を出る決断をして、
子会社の社長になっていた元上司の取り計らいで今の部署に異動する事が決まり、
異動する1か月前に、それまで『お師匠さん』として来た人と
一杯やった時の話が書いてある。
その日記を読んでみて、何だか言葉が出なくなった。
大先輩に言われた言葉が、また蘇る。その時の先輩の言葉をしっかりと聞いて、
今の部署に来てから、気をつけて他人と接して来たつもりなんだけれど、
それでもまだ他に、問題があるのかなって?・・・・・
でも、結局は同じ。大先輩が僕に言った
「僕のような個性の強い人間を、使いこなせない人間が上に居る事が悲劇」
と云う事なんだろうなぁ・・・・と、思ったり。
自分の性格に問題が無いなんて思っていない。むしろ『普通』じゃない。
何でもストレートに物を言うから、それで傷つく人も居るかも知れない。
今の部署に来て、充分それは気をつけてきたつもりだけど、
やっぱり何処かでそう云う部分が出てしまうのかなとか・・・・・
この歳になって、性格なんて変わるものじゃないからね。
でもね、どう考えたって僕は必要とされていない。
これは間違いない事です。
社長にでもならない限り、会社と言う組織の中では自分一人の力では、どうにもならない。
組織とはそういうものだってことも判っている。
友人の言葉に、過去の事をたまに振り返る事も大切かな?
って、ちょっと思ったのでした。
そう云う意味で友人の、僕に対する一種の愛情を感じました。