今年は太平洋岸にも大雪が降ったり寒気が続いたりして寒い冬になりました。
小金井市の早咲きの海岸禅寺の梅の開花も一週間以上遅れています。毎日のように車で前を通り、その梅の木を観察していました。
それが昨日行ったら見事に三分咲きになっていました。嬉しくなり車を梅の木の下に入れ写真を撮って来ました。ほのかに良い香りも漂っています。

1番目から4番目の4枚の写真は今年初めて咲いた梅の花の写真です。この梅の木は一本だけお寺の庭の前の駐車場に立っていて、毎年一番早く咲き出す梅の木です。

梅の木のある海岸禅寺は臨済宗妙心寺派のお寺です。海岸禅寺の創建年代等はよく分っていませんが、江戸時代の元文元年(1736)作られたことは確かです。

まだ三分咲きなので黒い枝が目立っています。しかしよく見ると満開になっている花もあります。

梅の木の下には一週間前に積もった雪がまだ残っていて風情ある風景になっていました。

この5番目の写真は去年の1月30日の小金井公園の梅林が満開になっている風景写真です。小金井公園の梅林は海岸禅寺の梅よりも毎年10日遅れで満開になるのです。今年はまだまだです。
去年の小金井公園の風景は2017年01月30日掲載の、「今年も梅が満開になりました、そして梅花の漢詩」に出ています。
昨日は写真を撮るのは家内に任せ、私はお寺の住職さんのことを考えていました。
このお寺は京都の妙心寺を本山とする禅寺です。本堂の裏には墓地の無い修行を専門にしているようなお寺です。
内庭が何時も綺麗にしてあるのでいつも散歩に行くお寺です。墓地がないので墓参りの人も来ません。静寂がお寺を覆っています。
江戸時代に流れ大工の作った山門が時代の変化を見つめているだけです。
お寺の住職の役割とは何でしょうか?
そんなことを考えていたら今朝の読売新聞の31ページに福島原発の爆発で放射能の灰を浴びた地蔵院というお寺の住職の石黒有高(37歳)さんのことが紹介されていました。
福島原発から10km以内にあった地蔵院の家族と檀家の人々は全国に散りぢりに避難しています。自分達は水戸の仮設住宅に避難しました。
そして各地に避難した檀家の法事にはお経をあげるために、どんなに遠方でも車を運転して必ず行くそうです。
そんな檀家の一人のおじさんが避難先で亡くなりました。石黒有高さんが幼少の頃に親切に遊んでくれた懐かしい近所のおじさんです。そのおじさんのお葬式をすませ、遺骨を車に乗せ福島の地蔵院にある墓に埋葬するため帰りの車を走らせます。車の中で石黒さんは遺骨に話かけます。
「おっちゃん、帰ろうか」
さて東日本大震災では被災地にあるお寺は人々の避難所になりました。そして少し落ちついて来たころには犠牲者の遺体の安置場所になりました。住職さん達は宗派にとらわれず連日、連夜、お葬式を続けたのです。
この様子は宮城県の曹洞宗の住職の浄心さんの趣味人倶楽部の日記に書いてあります。その趣味人倶楽部というSNSでの浄心さんの仮の名は桃太郎です。
その桃太郎さんの日記は、『破戒坊主』桃太郎の日記、趣味人倶楽部(https://smcb.jp/diaries/7578622 )からご覧になれます。
上に、「お寺の住職の役割とは何でしょうか?」と書きました。
住職さんの役割は檀家さん達のお世話をするだけで良いのでしょうか?
そうではありません。
お釈迦さまの教えを深く理解し、それを人々に伝えるのも住職の重要な役目です。
上で紹介した浄心さんはこれもきちんと行っています。
厳寒の12月に8日間続けて座禅をしてお釈迦さまの教えを深く理解するのです。これを曹洞宗では「臘八摂心会」と言います。
それを浄心さんと檀徒の「又やん」と以前の弟子の元照さんの3人だけで行ったのです。
その様子は以前の私の記事、「お釈迦さまの教えを深く理解するためには宗教的訓練が必要」(2017年01月15日)に紹介してあります。
何故、私は浄心さんをことさら取り上げて、ご紹介するのでしょうか?
理由はたった一つです。彼は時々お釈迦様を疑いながら、それでもお釈迦様を信じているのです。信じようとして毎日の修行に励んでいるのです。お寺の財産は竈の灰まですべて檀家の物だと考えています。お寺の会計は檀徒に任せているのです。しかしお金を稼ぐためにお葬式で読経します。しかしそれはお金を得るための行為であり宗教活動ではないと明言しています。こんな住職さんが沢山いれば寺院仏教も衰退しなかったと思います。
今年はじめての海岸禅寺の梅の開花の写真から随分と話がそれてしまいました。いつもの癖なのでご寛容下さい。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
小金井市の早咲きの海岸禅寺の梅の開花も一週間以上遅れています。毎日のように車で前を通り、その梅の木を観察していました。
それが昨日行ったら見事に三分咲きになっていました。嬉しくなり車を梅の木の下に入れ写真を撮って来ました。ほのかに良い香りも漂っています。

1番目から4番目の4枚の写真は今年初めて咲いた梅の花の写真です。この梅の木は一本だけお寺の庭の前の駐車場に立っていて、毎年一番早く咲き出す梅の木です。

梅の木のある海岸禅寺は臨済宗妙心寺派のお寺です。海岸禅寺の創建年代等はよく分っていませんが、江戸時代の元文元年(1736)作られたことは確かです。

まだ三分咲きなので黒い枝が目立っています。しかしよく見ると満開になっている花もあります。

梅の木の下には一週間前に積もった雪がまだ残っていて風情ある風景になっていました。

この5番目の写真は去年の1月30日の小金井公園の梅林が満開になっている風景写真です。小金井公園の梅林は海岸禅寺の梅よりも毎年10日遅れで満開になるのです。今年はまだまだです。
去年の小金井公園の風景は2017年01月30日掲載の、「今年も梅が満開になりました、そして梅花の漢詩」に出ています。
昨日は写真を撮るのは家内に任せ、私はお寺の住職さんのことを考えていました。
このお寺は京都の妙心寺を本山とする禅寺です。本堂の裏には墓地の無い修行を専門にしているようなお寺です。
内庭が何時も綺麗にしてあるのでいつも散歩に行くお寺です。墓地がないので墓参りの人も来ません。静寂がお寺を覆っています。
江戸時代に流れ大工の作った山門が時代の変化を見つめているだけです。
お寺の住職の役割とは何でしょうか?
そんなことを考えていたら今朝の読売新聞の31ページに福島原発の爆発で放射能の灰を浴びた地蔵院というお寺の住職の石黒有高(37歳)さんのことが紹介されていました。
福島原発から10km以内にあった地蔵院の家族と檀家の人々は全国に散りぢりに避難しています。自分達は水戸の仮設住宅に避難しました。
そして各地に避難した檀家の法事にはお経をあげるために、どんなに遠方でも車を運転して必ず行くそうです。
そんな檀家の一人のおじさんが避難先で亡くなりました。石黒有高さんが幼少の頃に親切に遊んでくれた懐かしい近所のおじさんです。そのおじさんのお葬式をすませ、遺骨を車に乗せ福島の地蔵院にある墓に埋葬するため帰りの車を走らせます。車の中で石黒さんは遺骨に話かけます。
「おっちゃん、帰ろうか」
さて東日本大震災では被災地にあるお寺は人々の避難所になりました。そして少し落ちついて来たころには犠牲者の遺体の安置場所になりました。住職さん達は宗派にとらわれず連日、連夜、お葬式を続けたのです。
この様子は宮城県の曹洞宗の住職の浄心さんの趣味人倶楽部の日記に書いてあります。その趣味人倶楽部というSNSでの浄心さんの仮の名は桃太郎です。
その桃太郎さんの日記は、『破戒坊主』桃太郎の日記、趣味人倶楽部(https://smcb.jp/diaries/7578622 )からご覧になれます。
上に、「お寺の住職の役割とは何でしょうか?」と書きました。
住職さんの役割は檀家さん達のお世話をするだけで良いのでしょうか?
そうではありません。
お釈迦さまの教えを深く理解し、それを人々に伝えるのも住職の重要な役目です。
上で紹介した浄心さんはこれもきちんと行っています。
厳寒の12月に8日間続けて座禅をしてお釈迦さまの教えを深く理解するのです。これを曹洞宗では「臘八摂心会」と言います。
それを浄心さんと檀徒の「又やん」と以前の弟子の元照さんの3人だけで行ったのです。
その様子は以前の私の記事、「お釈迦さまの教えを深く理解するためには宗教的訓練が必要」(2017年01月15日)に紹介してあります。
何故、私は浄心さんをことさら取り上げて、ご紹介するのでしょうか?
理由はたった一つです。彼は時々お釈迦様を疑いながら、それでもお釈迦様を信じているのです。信じようとして毎日の修行に励んでいるのです。お寺の財産は竈の灰まですべて檀家の物だと考えています。お寺の会計は檀徒に任せているのです。しかしお金を稼ぐためにお葬式で読経します。しかしそれはお金を得るための行為であり宗教活動ではないと明言しています。こんな住職さんが沢山いれば寺院仏教も衰退しなかったと思います。
今年はじめての海岸禅寺の梅の開花の写真から随分と話がそれてしまいました。いつもの癖なのでご寛容下さい。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)