1961年春に初めて車を買った。1956年型ダッジ・コルネットであった。
外国で中古車を買うときは現地の人を信用して判断を任せるのが良い。
新婚の妻は色合いを最重要視する。クリーム色と水色のツートンカラーの車を中古車店から借り出して近所の修理専門の職人の裏庭へ持ち込む。噛みタバコをいつも口に入れている老人のピートが自宅で個人経営の修理屋をしている。仰向けになり車の下へもぐり込み、あちこちをハンマーで叩きながら丁寧に見てくれる。「この車は買って良いよ」、結論を一言いう。謝礼を支払おうとしても受け取らない。その後色々小さな故障が起きたがそのつどピートに直して貰った。
最初に買った車なので嬉しく、暇さえあればオハイオ州のあちこちへドライブした。
ある時、オハイオ キャバーンという大鍾乳洞を見に行く。帰りの田舎道で突然エンジンが止まる。周りには人家が無く、一面のトウモロコシ畑。家内が心細そうにしているが、どうしようも無い。30分程途方にくれて居た時、一台の車が通りがかった。止まってくれた。子供連れの若い家族が乗っている。夫がこちらの車のボンネットを開け、「ディステュリビューターが壊れている。町まで引っ張って行って上げるよ」と言ってくれる。30kmくらい離れた小さな町の修理屋がすぐに直してくれた。牽引してくれた人にもお礼のお金を上げようとしたが受け取らない。無事、帰宅後に妻が先方の子供の喜びそうな玩具とお菓子を送った。ダッジ・コルネットにまつわる思い出が沢山あるが、この話が忘れられない。
車そのものは中古のせいで小さな故障をよくした。しかし大型乗用車なので乗り心地は抜群である。帰国後12台の車に乗ったがダッジ・コルネットほど乗り心地の良い車には乗ったことが無い。
下の小さな車は1962年の帰国後、初めて日本で買ったマツダ・クーペである。アメリカの大型車に比較すると落差が大きすぎて同じ車とは思えない。しかし楽しい車であった。富士五湖や山梨の芦安温泉や夜叉神峠まで走らせても故障しない。ただ空冷エンジンが焼けるので時々道傍に止めて後部エンジンルームの蓋を開けて冷ましたものだった。こんな小さな軽自動車(360cc)でも4人乗りであった。(終わり)