(この美しい夕陽の下の地球で起きたことを思い出しましょう!)
毎年、夏になると、日本では第二次大戦の豪華な写真集や総合的な記録が大々的に宣伝され販売されます。今年は特に、太平洋戦争の映像を集めた高価なCDやDVD集がテレビや新聞で宣伝されています。昭和11年生まれの小生も強い関心を持って、CD集の内容、目次、見本映像を見ました。日本が輝かしく戦っている映像が見本になっています。懐かしいので、購入して見ようと思いました。しかし、結局買いませんでした。何故でしょうか?
その編集方針があまりにも日本の関わった戦争にばかりに集中し、世界全体で何が起きたかという視点が無さすぎると思いました。内容の詳細は分かりませんが、「如何に日本が華々しく戦ったか」そして「アメリカの沖縄上陸、本土焼滅爆撃の悲惨」という2つの視点に偏っているようです。
しかし、当時、同じ地球の上で起きていた大きな悲劇が一切紹介されて居ないようです。そこで以下に少し参考情報をご紹介いたします。
日本と枢軸同盟を結んでいたドイツがロシアへ進撃し、優秀な人間や若者の民間人を選んで1000万人銃殺した事実を日本人はあまり知っていません。この話をすると驚く人が多いのです。
第二次大戦でロシアの戦死者は1450万人。民間人の1000万人と合計すると2450万人です。これに対してドイツの戦死者は280万人、民間人の死者が230万人で合計510万人です。
戦争に勝ったロシアが2450万人死に、負けたドイツが510万人死にました。これらの数字は正確には調べようもありません。(ここで用いた死者の数の出典:http://www.geocities.jp/wdbkwy/wdyhmfwys29.html これには日本の戦死者数もでています)
日本ではドイツによる、「ユダヤ人の大量殺戮」のみがよく取り上げられますが、ロシアの民間人の大量殺戮もしたのです。その事を忘れては、歴史を理解する場合の公平性に欠けると思います。
ドイツと同盟した日本がシベリアの脅威になっていたのは事実です。そのお陰で、ドイツの侵入・殺戮を容易にしたと考えるのは自然なことです。日本の枢軸同盟のお陰で多数のロシア人が殺されたとロシア人は思っているでしょう。
シベリア抑留は日本人もドイツ人もやられました。ドイツ人のほうが多数で過酷であったそうです。
何故シベリア抑留が起きたか論理的に考える必要があります。
シベリア抑留は無理無体、無法の極み!残酷なロシアの政策!と、いくら非難しても足りないと思います。全くけしからん話です。
また戦後ロシアが頑なに鉄のカーテンを張り廻らせ東西間に緊張が続きました。しかしこの冷戦も1989年にアメリカの勝利で終わりました。ソ連に占領されていたポーランド、チェコソロバキア、ルーマニア、ブルガリア、ハンガリー、リトワニアなどのバルチック3国が皆完全独立したのです。
しかし、シベリア抑留も鉄のカーテンもみな2450万人の死者が原因の一つです。
共産主義は間違っています。でもロシアの冷酷な政策は2450万人の死者を忘れては理解出来ません。
こんな暗い、悲惨な人間の歴史の話の最後に、実に明るい話をご紹介します。
元日本兵の木内信夫さんがシベリア抑留中に描いたスケッチ風の絵画集がインターネットで世界中へ公開されています。http://kiuchi.jpn.org/nobindex.htm,です。
数ヶ国語の翻訳つきです。いろいろな国の人々から感動したという投稿が英語であります。絵画の主題は人々の友情や抑留生活中のユーモアある風景が多いのです。極限状態でも人間を信じ、ユーモアを忘れない木内信夫さんの勇気にみな感動してコメントを送るのです。ロシア人の謝罪と戦争反対のコメントはせつせつとして心にしみます。人類の善意と相互理解の可能性を信じ、明るい気持ちで筆を置きます。(終わり)(この記事は2008年7月28日掲載記事を多少描き直したものです)
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。 藤山杜人