後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

南フランス・ボルドーのブドウ畑と東京・稲城市の梨畑の写真を比較してお楽しみ下さい

2009年07月31日 | 写真

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上の写真3枚は南フランス、ボルドー地方のブドウ畑の風景です。少し前にボルドーに住んでいて、有名なパテシエのParismidoriさんからこの3枚の写真を使うお許しを頂いてありました。

しかし、それだけを掲載しても面白くないので山梨の勝沼のブドウの丘の写真を撮りに行こうと思っていました。しかし天気が悪く行けません。仕方が無いので東京の梨の産地として有名な稲城市の梨畑の写真を先程撮ってきました。稲城市は府中市から多摩川を渡った南岸に広がる砂地で、昔から「稲城の梨」として東京では有名な果物です。下に3枚の写真をだします。

上のフランスの風景と何処が違うでしょうか?考えながら見るとフランスのブドウと梨の生産様式と果物の出荷目的が大きく違うのではないかと想像できます。フランスのブドウは葡萄酒を作るために栽培し、生産地に散在する葡萄酒発酵工場へ直送します。ブドウの木は立木のように立てて栽培します。ブドウを収穫する時期をずらして糖分や酸味を調整して発酵させます。

日本ではブドウは葡萄酒を作るににも使われますが、主に果物として都会の青果市場へ出荷されます。ブドウの木は蔦状に伸ばし、棚をつくり、棚からブドウの房を垂らします。その様子は下の3枚の梨畑の様子とよく似ています。東京の稲城市は住宅地に変貌していますので土地の価格が高騰しています。従って狭い梨畑に肥料を入れ、甘くて美味しい梨を生産するように人手をかけて根気よく育てています。それと比較するとフランスのブドウ畑は広々としています。なにかのどかな風景です。人手もかけているのでしょうが切迫した雰囲気がありません。何故こうも違うのでしょう?そんなことを考えながらブドウ畑と梨畑の風景を比較すると面白いと思います。いかがでしょうか?(終わり)フランスの写真3枚の出典は、http://blog.livedoor.jp/parismidori/ です。

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フォトアルバム「中古ヨットの見分け方写真集」へ写真を追加しました

2009年07月31日 | 写真

このフォトアルバムは2007年11月に開始し以来、1年9月になります。これ迄のこのアルバムだけへのアクセス数が77000件です。現在も毎日200件くらいあります。(ブログ本文へのアクセス数は12万7千件です。他のアルバムへのアクセス数も含めた総アクセス数は23万件以上になりました。有難う御座いました!)

そこで今年の春からのヨットの写真を追加しました。東京ベイヨットクラブのハンスクリスチャン43フィートのBambino号と同じクラブのババリア39フィートのBig Bear号です。いずれも中古ヨットですが豪華な造りでした。Bambinoの毛利船長とは母港の保田漁港のBanbinoの上でビールを一緒に飲んだり、駿河湾で昼間のセイリングに乗せて頂いたりお世話になりました。

またババリア39フィートはクラブ代表の大熊さんに三浦三崎港でお会いしました。東京湾を縦断して浜離宮脇の係留地へのセイリングに乗せて頂きました。南風の強い荒れた海を船体を傾けながら疾走しました。5月2日のことでした。

その後、同じ船で夜の東京湾をセイリングしながらビールを飲む会へも参加しました。独り大熊さんだけは飲まないで舵輪を握っていました。東京のビルの夜景の素晴らしさが楽しめました。

その他に追加した写真は船舶検査に関するものです。私の土浦港に係留してあるヨットは船齢が27年です。法定備品を揃え、航海灯を整備し7月7日に立会検査があり合格になりました。今後3年間は検査無しで夜間航行もできます。

最後に5月2日の荒れた東京湾のセイリングの写真を一枚掲載します。詳しくはフォトアルバム「中古ヨットの見分け方写真集」の御座います。(終わり)

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ガンになって知る他人の優しさ、愛

2009年07月31日 | 日記・エッセイ・コラム

このブログも8月4日で中断します。ネットの上で友人・知人になった方々と別れるのが惜しくて昨日は惜別の記を掲載しました。8月15日に予定通り退院できれば、すぐブログを再開したいと思っています。しかし、今回入院・手術を受けることを考えると、何回かこういう経験をしながら人間は死んでゆくのだという実感が持てました。皆様へ感謝しつつ永遠に別れるのです。

感謝の言葉と、さやようなら のご挨拶を趣味人倶楽部とBYOOLというSNSでも書きました。

多くの方々から「早く回復して、また記事を書いて下さい」という趣旨の慰めと、励ましのメッセージを合計50人の方々から頂きました。昨日、メーッセージを何度も読み返し、感動しています。

これらの方々とはネットの上だけの友人です。なんの関わりも無い全くの他人です。その他人が優しさと、愛情のこもったお手紙をくれるのです。人間の素晴らしさが体験出来ました。

このような経験は生涯で始めての経験です。真心のこもったメッセージや手紙を下さった全ての方々へ深い感謝を致しております。そして昨日の記事をお読み頂いた全ての方々へも感謝いたします。有難う御座いました。 

今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。 藤山杜人


記事の訂正です!「病気で体が痛くて困っている人々への朗報ですー痛みを和らげます!」の中のURLが間違

2009年07月30日 | うんちく・小ネタ

7月25日掲載の病気の痛みで困っている人の相談を受けるJPAPの HPのアドレスが間違っていました。正しくは、http://www.jpap.jp/gen/index.html です。

兎に角、病気の肉体的な痛みで困っている患者さん、あるいはその家族が直接、電話して相談できる窓口の全国の一覧表をご覧下さい。

上に示しましたJPAPのホームページの一番上に「患者さん・ご家族向けサイト」いう文字を見つけて、それクリックします。すると全国のJPAPに所属する病院の住所と電話番号があります。そこへ電話をすれば相談に乗ってくれるのです。

もう一つの方法は痛みのことを専門にしているお医者さんがメールで相談に乗ってくれるという方法です。「痛みの相談室」というところをクリックすると出て来ます。E-メールへ相談することを書いて送れば返事が貰えます。相談に乗ってくれるお医者様の簡単な紹介と顔写真もあります。

7月25日の記事でご紹介したURLはガン患者の体験記の公募のための情報でした。私が間違って掲載してしまい、申し訳有りませんでした。

私はかなりな老人ボケなので、そのURLをJPAPのHPと独りで思いこみ、その出来具合が患者に不親切ですと、事務局の高橋さんへメールで連絡しました。今日改めて、高橋様から懇切丁寧なご説明を受けましたので今日の訂正記事の掲載にいたりました。

事務局の高橋さんの患者の相談に乗ろうという強い情熱と親切さに感謝いたします。皆様のご家族や親類に肉体的な痛みで困っている方がいましたなら、是非、http://www.jpap.jp/gen/index.html をクリックして見て下さい。見ただけでもまずは安心します。私も8月5日に入院、手術を受ける予定なので、高橋さんから頂いた情報で非常に勇気づけられています。有難う御座いました。(終わり)


このブログを読んで下さった方々への感謝と惜別の言葉ーその一

2009年07月30日 | 日記・エッセイ・コラム

8月5日入院の予定です。このブログもしばらくお休みいたします。この機会にこのブログをお読み頂いた全ての方々へ心からの感謝の言葉を申し上げます。

そして2007年11月にこのブログを開始以来、数多くの心温まるコメントをご投稿下さいました方々へも感謝申し上げます。特に始めの9ケ月の間、内容豊かなコメントを毎日下さいました高山さんと、SHANTIANさんには大変励まして頂きました。有難う御座いました。

このブログの左サイドバーに示した「推薦したいブログ」に掲載してあった素晴らしい写真を数多くこちらのブログへ転載させて頂きました。お陰でこのブログも華やかな写真で飾ることが出来ました。転載をお許しになって下さった、鬼家雅雄さん、ちひろさん、玲さん、Parismidoriさんへ感謝します。

また「推薦したいブログ」には提示していませんでしたが「富良野健康生活」の あとみん さんの鮮明な北海道の写真を数多く転載させて頂きました。本当にありがとう御座いました。

そして木内光夫さんからは伊東の文学会の様子をお知らせいただいた上、大田道灌を主人公にしたご自分の小説の本までお送り下さいまして有難うございました。

舞台俳優のmikaさんには宮沢賢治の詩の朗読を聞かせて頂き感動いたしました。また美しい文章も転載させて頂き有難う御座いました。

「昼のガスパール」というブログのオカブさんにはお会いして頂き、キリスト教の信仰について力強いご指導を頂きました。そしてオカブさんが経営管理委員会のメンバーをしている世田谷教会へ招待して下さいました。カトリックの私にとってはプロテスタントの教会の礼拝に参加するのは初めてでした。オカブさんのお勧めで他のプロテスタントの教会も訪問出来ました。小金井南貫井キリスト教会の橋本牧師さんからメノナイト宗派のお話も聞きました。

オカブさん大変お世話になり有難う御座いました。

その他、Hootaさん、Vasenoirさん、SEIKOさん、Amadeusさん、そしてHikarunoさんとは深いお付き合いをさせて頂きました。このような多くの方への感謝はこの続編で詳しく書きます。

この様な友人と間もなく別れるのが悲しいです。会うことは別れの始め、と理屈では分かっていますが、惜別の情が心に広がり、悲しいのです。人間はみな背中に悲しみを背負って生きている。そう言いますが、特に、ここ数日はその言葉をかみしめながら生きています。

皆様のご健康と平和をより強くお祈り申し上げます。 藤山杜人


ネット上の友人の玲さんの美しい花々の写真をご紹介します

2009年07月29日 | 写真

もう一年以上、ネットの上でお付き合いをしている水戸の玲さんの美しい花の写真をご紹介します。玲さんの御父上は昔、水戸市の市長をされたそうです。名家のお嬢さんです。私と同じくらいのお歳ですから、正確に言えば「元お嬢さん」です。写真を撮るのがお上手で感性豊かな写真に感動し、ネット上の友人になって頂きました。時々玲さんの写真をこちらのブログへ転載しご紹介してきました。写真が鮮明で、奥行きがある構図です。その上、上品な写真です。

昨日、転載の許可を頂いたので、4枚ほどご紹介します。

花の名前は玲さんのブログ、http://blog.goo.ne.jp/koiredawa をご覧下さい。他にも素晴らしい写真が沢山掲載されています。(終わり)

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奥多摩の御岳へ登ってきました

2009年07月29日 | 日記・エッセイ・コラム

この所、雨ばかりで運動不足になっていましたので、奥多摩の御岳へ登ってきました。ケーブルカーで標高800m以上まで上がって、其処から標高差200mくらいの急坂を登ります。写真を撮りながらゆっくり歩きましたので1時間近くかかってやっと御岳神社の一番上まで行きました。

この神社は奈良時代以前からある山岳信仰の社です。神仏混淆ではなく、武蔵御嶽神社として信仰されてきました。神社のすぐ下には江戸時代から続く苔むした宿坊が数多くあります。

写真をご紹介致します。(続く)

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日本へ好意的なイスラムの国で起きた実話

2009年07月29日 | 日記・エッセイ・コラム

アメリカの前の大統領のブッシュさんがイスラム諸国を敵視する政策をとっていた。日本にも何となくそんな風潮がある。しかしイスラム教の人々と個人的に付き合ってみると人間として尊敬出来る。以下は先日、昔の同級生から聞いた話。彼は鉄鋼技術者としてエジプトの製鉄技術の支援のためアレキサンドリア市に住み着いて働いたことがある。

巨大な電気炉で鉄を溶かし、さて鋳型に流そうとするときに限って、近所のモスクから礼拝の合図が流れる。真赤に煮えたぎる溶けた鉄を電気炉から取鍋へ移そうとしてクレーン操作をしている運転手が突然手を止めて膝ま付く準備を始める。溶けた鉄が、取鍋に半分溜まっている。そのまま取鍋の中で鉄が固まってしまったら大変なことになる。30トンもの鉄がそのまま塊になってしまったら切ることも、溶かし直すことも出来ない。工場が止まる大騒動になる。10秒を争う切迫した状況になったそうです。礼拝の時間を避けて、取鍋へ溶鉄を流すように努力していたが、毎日一回くらいは礼拝時間と取鍋操作が重なってしまう。

同級生のTMさんは日本鋼管からエジプトへ派遣された技師です。毎日5回、工場内に膝ま付いて礼拝をする現場の人々を上手に管理して、仕事を進めなければならない状況です。そこでTMさんは近所のモククの聖職者を訪ねて行ったそうです。工場内の状況を説明し、「何か賢明な解決策はありませんか?」、TMさんが聖職者へ相談します。

モスクの聖職者がこの問題を1ケ月後に解決してくれたそうです。その背景をエジプト人工場労働者が説明したそうです。聖職者が日本を尊敬していたのでした。

欧米の時計、ラジオ、テレビ、電機洗濯機、冷蔵庫などの製品は保証期間の1年間は正常に動く。しかし日本製の工業製品は保証期間が過ぎても半永久的に動く。このようなことを聖職者が通訳に雑談として語っていたそうです。TMさんの話では、アレキサンドリア市に限らずエジプトの何処に行っても、人々が日本人を尊敬し、好意的なそうです。

「日本の工業製品は半永久的に正常に動く」という言い方は贔屓すぎます。それを言う人の感情が入っています。

エジプトは長い間イギリスの植民地でした。イギリス、ヨーロッパ諸国が古代エジプト王朝の墓を勝手に発掘し、金製品や王達のミイラ、遺体を収奪し本国へ当然のように持ち帰ったのです。そんな時代が長く続きました。

そのイギリスの軍艦を沈め、イギリスの植民地だったシンガポールやマレー半島、そしてビルマを解放した日本の歴史へ対して感情的な好意を持っているようです。

エジプトに限らず、欧米の植民地主義で苦しんだ中近東諸国は日本へ対して敵愾心が無いそうです。そんなことを、イランの日本大使館で働いていた人に直接聞いたこともあります。皆様はイスラムの人と個人的に付き合ったことがあるでしょうか?(終わり)

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。 藤山杜人


雨にはあきあきです、抜けるような青空を見たい!

2009年07月28日 | 写真

ここ2週間ほど、関東地方は梅雨に逆戻りです。雨にはあきあきです、抜けるような青空を見たい!そんな気分のときは自分のブログを見ながら爽快な青空の写真を楽しんでいます。

今年の5月2日に東京ベイヨットクラブのHootaさんにBambino号に乗せてもらいました。沼津沖の駿河湾の写真を2枚お送りします。少しご気分が晴れたら嬉しく思います。(終わり)

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儚く消えてしまった合歓の木(ネムノキ)の残した写真

2009年07月28日 | 写真

毎年、夏になると白い綿のような花を咲かせていた合歓の木(ネムノキ)の大木の物語です。それが今年行って見たら忽然と消えていました。大木の持ち主が切ってしまったのです。夢幻のように消えた花の写真は昨年7月に撮ってこのブログで掲載してあります。今後は絶対に見ることのできないムネノキの花を偲んで写真を3枚掲載いたします。

繊細な構造の花の感じをお楽しみ頂ければ嬉しく思います。(終わり)  

撮影場所:北杜市武川町、横手の「みよしや」の前の三叉路の北角に有りました。高さ8m位の大木です(電信柱や看板に囲まれていて全体の写真が撮れませんでした)。 撮影日:7月19日17時と20日9時、撮影者:Mrs.藤山

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この地球の上で起きたことを忘れないー第二次大戦でロシアが2450万人戦死しその後の冷戦でアメリカに負

2009年07月28日 | 日記・エッセイ・コラム

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(この美しい夕陽の下の地球で起きたことを思い出しましょう!)

毎年、夏になると、日本では第二次大戦の豪華な写真集や総合的な記録が大々的に宣伝され販売されます。今年は特に、太平洋戦争の映像を集めた高価なCDやDVD集がテレビや新聞で宣伝されています。昭和11年生まれの小生も強い関心を持って、CD集の内容、目次、見本映像を見ました。日本が輝かしく戦っている映像が見本になっています。懐かしいので、購入して見ようと思いました。しかし、結局買いませんでした。何故でしょうか?

その編集方針があまりにも日本の関わった戦争にばかりに集中し、世界全体で何が起きたかという視点が無さすぎると思いました。内容の詳細は分かりませんが、「如何に日本が華々しく戦ったか」そして「アメリカの沖縄上陸、本土焼滅爆撃の悲惨」という2つの視点に偏っているようです。

しかし、当時、同じ地球の上で起きていた大きな悲劇が一切紹介されて居ないようです。そこで以下に少し参考情報をご紹介いたします。

日本と枢軸同盟を結んでいたドイツがロシアへ進撃し、優秀な人間や若者の民間人を選んで1000万人銃殺した事実を日本人はあまり知っていません。この話をすると驚く人が多いのです。

第二次大戦でロシアの戦死者は1450万人。民間人の1000万人と合計すると2450万人です。これに対してドイツの戦死者は280万人、民間人の死者が230万人で合計510万人です。

戦争に勝ったロシアが2450万人死に、負けたドイツが510万人死にました。これらの数字は正確には調べようもありません。(ここで用いた死者の数の出典:http://www.geocities.jp/wdbkwy/wdyhmfwys29.html これには日本の戦死者数もでています)

日本ではドイツによる、「ユダヤ人の大量殺戮」のみがよく取り上げられますが、ロシアの民間人の大量殺戮もしたのです。その事を忘れては、歴史を理解する場合の公平性に欠けると思います。

ドイツと同盟した日本がシベリアの脅威になっていたのは事実です。そのお陰で、ドイツの侵入・殺戮を容易にしたと考えるのは自然なことです。日本の枢軸同盟のお陰で多数のロシア人が殺されたとロシア人は思っているでしょう。

シベリア抑留は日本人もドイツ人もやられました。ドイツ人のほうが多数で過酷であったそうです。

何故シベリア抑留が起きたか論理的に考える必要があります。

シベリア抑留は無理無体、無法の極み!残酷なロシアの政策!と、いくら非難しても足りないと思います。全くけしからん話です。

また戦後ロシアが頑なに鉄のカーテンを張り廻らせ東西間に緊張が続きました。しかしこの冷戦も1989年にアメリカの勝利で終わりました。ソ連に占領されていたポーランド、チェコソロバキア、ルーマニア、ブルガリア、ハンガリー、リトワニアなどのバルチック3国が皆完全独立したのです。

しかし、シベリア抑留も鉄のカーテンもみな2450万人の死者が原因の一つです。

共産主義は間違っています。でもロシアの冷酷な政策は2450万人の死者を忘れては理解出来ません。

こんな暗い、悲惨な人間の歴史の話の最後に、実に明るい話をご紹介します。

元日本兵の木内信夫さんがシベリア抑留中に描いたスケッチ風の絵画集がインターネットで世界中へ公開されています。http://kiuchi.jpn.org/nobindex.htmです。

数ヶ国語の翻訳つきです。いろいろな国の人々から感動したという投稿が英語であります。絵画の主題は人々の友情や抑留生活中のユーモアある風景が多いのです。極限状態でも人間を信じ、ユーモアを忘れない木内信夫さんの勇気にみな感動してコメントを送るのです。ロシア人の謝罪と戦争反対のコメントはせつせつとして心にしみます。人類の善意と相互理解の可能性を信じ、明るい気持ちで筆を置きます。(終わり)(この記事は2008年7月28日掲載記事を多少描き直したものです)

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。 藤山杜人


ガンの心配を、気楽に相談できるセンターに寄ってみました

2009年07月27日 | うんちく・小ネタ

今日は手術前の麻酔の指導を受けるため武蔵野赤十字病院へ行ってきました。昔はいきなり背骨へブスリと麻酔をしましたが、現在は麻酔担当のお医者さんから懇切丁寧に麻酔の説明をしてくれます。安心しました。

いつも早めに行くので待つ時間が出来てしまいます。受付けコンピューターの傍に、「西部ピアカウンセリングセンター」という看板があり、ガン患者の相談に乗っていました。中年のご婦人がカウンセラーとして4人座っていて、何でも相談にのりますと言います。いささか得意げに前立腺ガンで手術を受けます、と名乗ったら奥の部屋に招じ入れられました。

家内と2人、相談員も女性2人。礼儀正しく自己紹介をして話し合いが始まりました。この西部ピアカウンセリングセンターの正体を取材してブログへ紹介したいのです。と、言って名刺を出しました。2つのことだけをご報告します。

(1)相談に乗ってくれる人は全てガン治療を受けた経験者と家族をガンで失った遺族です。ですからガン患者の心配事がよく理解出来るのです。話してみると、始めから家族のように打ち解けて親切に何でも相談に乗ってくれます。その態度が柔らかで、親しみが持てて、声を聞いているだけで安心してしまうのです。長生きをすると、「世の中、こんなに変わるの」と感心する事が多いです。今日も驚きを体験しました。

(2)この事業は東京都福祉保健局医療政策部医療政策課(電話:03-5320-4389)がNPO法人がん患者団体支援機構へ依頼してカウンセラーを派遣して貰って実施しています。東京都の実施している事業です。2つの総合病院に相談員(カウンセラー)が毎週2回ずつ出張して、相談を待っています。都立駒込病院には火、金曜日の午後1時から午後4時まで、武蔵野赤十字病院には月、水曜日の午前10時から午後3時までです。電話は駒込病院の相談窓口が03-3823-2536 で武蔵野赤十字病院の窓口は0422-32-3282 です。

HPは、http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/iryo/sonota/piakaunnserinngu/files/annnaitirashi.pdf です。相談員(カウンセラー)の居る時間帯に電話をして、その応対に満足したら、予約をしてお出かけ下さい。あるいは気楽にブラリと寄ってみるのも良いと思います。相談に乗ってくれるのは東京都のお役人ではありません。民間のガン経験者のカウンセラーなので不愉快な会話は出て来ません。ガンのことで何か心配事のある方へお勧め出来る相談窓口を偶然見つけましたので、ここにご紹介するのです。少しでもお役に立てば嬉しく思います。(終わり)


インターネットの不思議な空間、そして人間へのつながり

2009年07月27日 | 日記・エッセイ・コラム

人間は誰でも、他人へ気楽には話かけません。特に偉い人は避けたいと思うのが人情です。ところがインターネットでは老若男女皆平等です。どんなに偉い政府の高官も世界的に有名な芸術家も完全に平等です。インターネット空間とはその様に不思議な空間です。実社会では考えられないことです。実社会には「0000先生」と呼ばないと、とたんに不機嫌になる人々も沢山います。

最近、一流の芸術家3人に気軽に話しかけ、ネット上で友人になりました。このブログでご紹介した村田旭画伯、世界的に活躍している音楽家・陶芸作家の宍戸真知子さん、そしてプロの水墨画家の神林采希(あやき)さんの3人です。

そして神林さんの亡くなられたご主人の新宮正春さんのことも知りました。インターネット世界では亡くなった方とも親しくなれるのです。今度、「安南の六連銭」を読んでみようと思っています。

皆様もこのような不思議な体験をなさっていらっしゃるでしょうか? (終わり)

最後に新宮正春さんのご紹介を付記します。

新宮正春(しんぐう まさはる、本名:瀬古正春 せこまさはる19351月1 - 20048月28)は、日本の小説家、著述家。和歌山県出身。神奈川大学経済学部中退。報知新聞運動部記者を経て、1970年「安南の六連銭」で小説現代新人賞を受賞。時代小説家としてデビュー。主な作品に「安南の六連銭」、「知られざる長嶋茂雄」など。長嶋茂雄と親交が深く、長嶋と亜希子夫人の縁を取り持ったことでも知られる。2004828日、急性呼吸不全のため都内の病院で死去。享年7069歳没)。


私のネット上の友人、水墨画家、神林采希さんのこと

2009年07月27日 | 日記・エッセイ・コラム

頭を垂れてしばし考えてしまう。このプロの水墨画家の神林采希(あやき)さんのことをどのようにご紹介しようかと。2つのことだけを書きたいと思います。

まず電話やメールでいろいろお聞きしました。描いている水墨画は畳1畳や2畳のような大きな紙に描いているそうです。色彩もつけるそうです。きっと力強い、そして華麗な大作に違いありません。是非その写真を送って下さいと頼みました。しばらくして水墨画を絵ハガキにしたものを10枚、封筒に入れて郵便で送って下さいました。10枚の白黒だけの水墨画を見て、思わずウーンと唸ってしまいました。成程、これは写真にするべきではない!水墨の微妙なコントラストは私の撮影技術では出せません。絵の素晴らしさが写真では台無しになるのです。ですからこの記事には写真がついていません。

もう一つ、是非書きたいことがあります。それは神林さんのつつましいご性格のことです。BYOOLというSNSで友人になって下さいと、お願いをしました。ご承諾して頂きました。そちらではSEIKOさんという名前です。

自己紹介の欄にさりげなく水墨画のことが書いてありました。そこでメールを何度か差し上げ、こちらのブログで水墨画の写真をだしたいので頂きたいとお願いしました。そうしたらこの机の上の電話へ、神林さんから電話がかかって来ました。いろいろ優しいお声で礼儀正しくお話をします。丁寧な間接話法なので何故電話をかけてくれたのか理解出来ません。電話を切ってから分かりました。「水墨画は写真にして見て貰いたくない」ということのようです。絵ハガキを郵送するから見て下さいとも言ってました。手紙ではそのような微妙なことを礼儀正しく伝えるのが難しかったのでしょう。そして昨日郵送されてきました。

メールを交換したり電話で話しあったりしましたが、押しつけがましい感じがしないのです。とてもつつましいご性格のようです。しかし一旦筆を握り、大きな紙に向かうと大胆で華麗な絵を勢いよく描いている様子が見えるようです。そんな不思議な感慨を体験しましたのでここで書いておきたかったのです。

下に参考情報を付記しました。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。 藤山杜人

==========神林采希の詳細情報の詮索方法======

神林采希[カンバヤシアヤキ]http://www.nichibou.co.jp/Books/ISBN4-8170-3961-2.htm
1947年、大阪府箕面市生まれ。現在、(社)日本美術家連盟会員、(社)日中水墨画交流協会常任理事、NHK学園水墨画専任講師、国画水墨院理事、日中水墨芸術家連盟特別理事、新世水墨“采の会”主宰、よみうり文化センター恵比寿教室講師

著書もあります。墨が好き 人が好き」 神林采希水墨画自選集 神林采希著 

1995 B5上製・85頁 本体2,500円 3961-2 (ネットでも販売)

水墨画に魅せられた女流の、踊る女性の一瞬の動き、老人の静かな眼、あどけない純真無垢な幼児などの34作品。一部は「季刊水墨画」に連載。随想18編は描かざるを得ない気持ちを、生きいきと綴る。序・瀬戸内寂聴、近藤芳美。

【全国学校図書館協議会選定図書館】 

その他の情報は検索項目は神林采希」の本、激安購入! で検索する。その他、NHK生涯学習通信講座講師からひとことhttp://www.n-gaku.jp/life/dtl/2G0_koushi.htmlをご覧下さい。


電線の醜悪さと工事者の美的感覚を疑う

2009年07月26日 | 日記・エッセイ・コラム

風景写真を撮ろうとすると必ず電線があって邪魔をします。美しいタイル張りの歩道のある街路に感動して歩いていると、頭上には醜悪な電線が縦横無尽に走っています。興ざめすることがあります。銀座などでは地下ケーブルにして頭上には電線が無いそうです。九州の知覧の武家屋敷を見に行ったら、電線が見えません。

頭上の電線を全て地下ケーブルにするには莫大な費用がかかります。無理は百も承知しています。しかし、(このしかしは大声で言っています)電線をもっと整然と張り巡らせて貰いたいのです。各家庭の使用電力が増加する度に手当たり次第、思い付くままに張り巡らしているのです。漏電さえしなければ何でも有り、です。

左右対称、方向は直角に曲げる、白い碍子は美しく配列し、とにかく整然と配線する。その努力が皆無なのです。

しかし電力会社で働いている人々は別な感慨で見ているのでしょう。現在の日本の空を覆っている電線を美しいと思っているに違いがありません。人間は本来身勝手な生き物です。自分のものは何でも好きです。美しいと感じているものです。

私も同じです。昔の専門は鉄鉱石から鉄を精錬する過程の物理や化学を研究していました。鉄を作るには巨大な溶鉱炉を使います。煤や埃まみれの赤錆びた醜悪な設備です。しかし、現役のころは溶鉱炉を見るたびに、その美しさにウットリしていました。機能美の極致のようです。しかし引退してしばらくしてその感じ方が変わりました。湾岸道路で川崎の扇島を通る度に昔日本鋼管という名前だった会社の巨大な溶鉱炉が見えます。良くみると何か醜悪なものの塊のようです。煤と埃まみれな様子です。専門外の人々は決して美しいとは感じないでしょう。

ただ、電力会社と違って鉄鋼会社は汚いものを一般の人々へは見えないようにしました。工場の周りを幅広い常緑樹の林を作り、工場全体を囲んでしまったのです。ですから溶鉱炉は普通見えません。

湾岸道路が扇島を横断するとき高架道路になっているから見えるのです。日本鋼管の溶鉱炉を見るたびに1957年にあそこで工場実習をした暑い夏の日を思いだします。その後何十年もお世話になった色々な人々の顔を思い出します。故人になった人も多いのです。

下に示す写真は家内が撮ったものです。醜悪な電線ですが、夕焼け空を背景にすると何故か美しく見えます。そしてこの写真を見るたびに溶鉱炉を思い出します。今は亡き人々の笑顔を思い出します。日本鋼管という名前も消えました。川鉄と合併してJFEという社名になったのです。皆様は頭上を縦横に走る電線をご覧になって何をお考えでしょうか?(終わり)

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